ぼくらが旅に出る理由

別れるときに、ぜったいにそのかなしさは半分じゃないとおもう。わたしはおばあちゃん家が両方とも離れているから、ちいさいときからそれを実感していた。おばあちゃん家から帰るとき、ぜったいに自分よりもおじいちゃんとおばあちゃんのほうがかなしそうで、同じようにバイバイしているのに不思議だとおもっていた。おばあちゃんたちはいつもわたしたちが来るのをただ待って、帰るときにはおいてかれていく側で、わたしたちよりもすぐに日常がもどってくる。遠くから友人が遊びにきたりしたときは、自分がそのおいていかれる側を体験して、お別れのかなしさを実感した。小学生のときに2回転校したのだけど、友達が転校したときより自分が転校するのはかなしくなかったし、かなしいとか不安よりもむしろわくわくするかんじだった。新学期やクラス替えがすきだったのも、おなじ。慣れた日常にお別れして新しい環境になることに対して、ちいさいときから上手に順応していたのは、そのお別れのおもさの違いをなんとなくわかっていて、自分はその、おいていかれるほうにならないようにならないように生きていたからだとおもう。いまも自分のほうのかなしさが、相手よりも少なくなるように計算してお別れしているとおもう。

旅行がすきなのも、きっとすき勝手に人も、場所も物も、おいていけるから。出発するときは家族や友達、自分の部屋、いやなことも、日常をおいていける。かえるときは、その旅行先の場所、人、ちょっと作られかけた日常をまたおいてくる。単に気分転換とか、そういう意味以上の快感というか安心感というか、なにかそういうものがあるような気がする。むかしの友達とあまり遊ばないのもそういうことなんだとおもう。向こうからおいていかれるのがこわいから、そうされる前に自分からはなれていくほうがいいとおもっているんだろう。自分から人に深入りすることもされることも拒もうとするのも、きっと離れられなくなるのがこわいからで、いつでも逃げられる距離を保っておきたいとおもっているんだろう。でも、なんでそうなったのかはぜんぜんわからない。親からも十分に愛情を注いで育ててもらったとおもうし、友人関係もとくに人並み以上の問題を抱えたことはないようにおもう。でも、わたしは対人関係において病的に臆病なところがあって、べつに人見知りじゃないしコミュニケーション能力がとても低いというわけではないのにどうしてもこわくてできないことがあって、どうしてなのかわからない。たぶんそれが治れば彼氏はできるとおもうんだけど、治らないと結婚とかそういうことがちゃんとできそうにない。そういえばこのあいだこういうことを人に相談したら、過去世になにか問題があったんじゃないかといわれて過去世療法の本を薦められた。

旅行に行って、そこで見たきれいな景色も、たのしかったことも感動したことも、結局すぐにわすれてしまう。ほんの一瞬の行為や体験が、その先の人生を変えるなんてことはないとおもう。結局そんなのは勘違いで、その勘違いができるかできないか、ということだとおもう。わたしはインドに行っても、そこでダライ・ラマの説法を聞いても、ローカルバスで11時間かけて秘境に足を運んでも、チベット僧が淹れてくれた一杯のチャイを飲んでも、なにも変わらなかった。でも、長い目で見たら、なにかこの先に影響を与えてくれることはあったのかもしれない。とりあえずいますぐに分かる変化は、何人かラインの友達がふえたこと、日焼け、ちょっと痩せたこと、おなかがゆるくなったこと、くらい。とくに期待して行かなかったけれど、すこしさみしい。でも、そんな自分でよかった(勘違いできない自分でよかった)とおもうところもある。

栄養ドリンクの引きよせ

まさに夏休み一日目、という天気。いやなテストやらレポートやらがおわったからか、空もきれいにみえる。暑いけど、それがたのしいくらい。

教習所にむかう途中の送迎バスで、運転手のおじさんがリポビタンDをくれた。いきなり、「リポビタンD飲む?」と聞かれたのでびっくりした。乗っているのがわたしひとりだったからサービスなのか、もしかしたら、わたしがとても、これから運転なんてできないようなくらいつかれているように見えたのかもしれない。今日は高速教習なので助かります、と言ってありがたく受け取ると、運転手のおじさんはいろいろと話しかけてきた。「きみ、ポケモンGOやってる?」と聞かれたので、やっていません。と言うと「きみ、いいね〜!」とほめられた。あと、「暑いのと寒いのどっちが得意?」と聞かれたので「ん〜、さむいのです」と言ったら、だよね!とルームミラーごしにグーをされた。そうしたら「きみ、O型?」と聞かれた。わたしはざんねんながら、B型だった。

高速教習は、教官一人とわたしのほかにあと二人生徒が同乗して、三時間、交代交代に運転する。待合室に中学の同級生男子がいて、一緒だったらいやだな……とずっとどきどきしていた。一緒じゃありませんようにと願っていたら、ちがったので安心した。でもなんと、一人は同じ中学に通っていた同い年の女の子だった。部活もちがったし、クラスも同じになったことがないけど話したことはあるくらいの子で、でもなぜか、わたしは中学の同級生に会ってもしらんふりしてにげることが多いけど、その子は自分から話しかけたくなる子だった。浪人していた時も一度電車であったことがあって、その子も浪人していて、たしか医学部を目指していたんだったとおもって聞いたら、今年やっと受かって、いま一年生だということだった。もう一人は同い年くらいの感じのよさそうな男の子で、シンプルな服装にまだ紐が白くきれいに反射した紺色のニューバランスを履いていた。教官も、もうなんどもお世話になっている人だったので、とても当たりだとおもった。最初はその男の子が運転することになって、わたしと友達はうしろにすわった。わたしたちがたのしそうに話すのを見て、教官が男の子を気の毒におもったのか、名簿を見て「◯◯くんも、△△らへんに住んでいるんだね〜」というので、「どこ中ですか?」と聞いたら隣の中学だった。つづいて、「いまいくつですか?」と聞いたら「今年ではたちで、いま大学2年です。」というので「じゃあわたしたちのほうが2つ上でした。」と言ったら、まさかの年上ですか、と驚いていた。わたしも背が小さいし、友達も私より背が小さいので、お姉さんには見えないようだった。そんなかんじでなかよくなって、もはや教習というよりドライブだった。休憩のサービスエリアでは三人でお茶をしたし、一人が運転している時は、うしろの二人でずっと話していた。運転のこと以外にも、その男の子の妹がわたしの出身高校にいま通っていたり、共通の友人がいたり、話すことは無理しなくてもあった。三時間のあいだで、お互い通っている大学も教えたし、アルバイト先も教えたし、夏休みの予定も話した。ほんとうにとてもたのしくて、たぶんほかの二人もすごくたのしかったとおもう。それでも、車から降りてロビーについたら「おつかれさまでした。」といって、一瞬でばらばらになった。もったいない気もするけど、すぐばらばらになるからこそちょうどよくたのしかったような気もする。わたしはたぶんこういうのが好きなんだとおもう。これからしばらく旅行に行ってしまって教習所に行けないので、きっとそのあいだに二人は通いおわるだろうから、もう会うことはないだろう。でも、もしもう一回会ったら、自分から話しかけたくなる人たちだった。

帰りのバスに乗ると、運転手は行きと同じおじさんで、高速どうだった?と聞いてくる。「リポビタンDのおかげで、とてもたのしかったです。」とお礼を言った。リポビタンDのパワーはすごいなあとおもった。元気のでない日は、レッドブルよりもこれを飲むようにしようとおもった。

風街で風待ち

さいきんは、いちにちに色んなことをする日ばかり。今日はともだちと会って、美容院に行って、教習所に行った。それぞれの約束のあいだにすこし時間があいてしまって、本屋で立ち読みしたり、わざと電車を遠回りしたりしたのでつかれた。

松本隆の小説をよんだ。とてもとてもとても好きだった。こんなに自分の好みにばっちりあてはまって、はっぴいえんどとかをいいとおもうことをあたりまえだなとおもった。ほんとうに何もかもすてきだなあ。今日の天気は、油断したら雨がふり出しそうな、でも台風が過ぎさったあとのようでもあるくもり空で、風をあつめてがよく合う日だった。

 

はっぴいえんどをはじめて聴いたのは、中学生のころ、深夜ラジオでだった。ゲストでよばれたまだ無名のバンドの、日本語ロックの原点から聴き直そうとおもって聴いています、という前振りにつづいて、はっぴいえんどの風をあつめてがかかった。深夜にマンションの小さな部屋で聴くはっぴいえんどは、女子中学生にはまだはやかったんだとおもう、そのときはあまり良さがわからなかった。中学生のときは、みんなと一緒にグリーーーンとか嵐とかを聴いていて、両親が車でかける、聖子ちゃんやユーミン山下達郎カーペンターズなどを「親が好き」という理由だけで毛嫌いしていた。たぶん、はっぴいえんどもそのラインだな〜とおもったのだろう。でも、いまになってもこうやってはっきりおぼえているんだから、何かしら感じるものがあったんだとおもうし、そうおもいたい。

つぎに聴いたのは、高校生のころだった。読んでいたファッション雑誌(いまはもう廃刊になってしまった)で、菊池亜希子がipodで再生回数がいちばん多い曲として風をあつめてをあげていて、YouTubeで検索して聴いた。高校生のころは、ひっしにロキノン系のバンドを聴いていて、だれよりもはやく無名のバンドを見つけだすことに精を出していた。世界中で鳴り響くすべての音楽を聴いてやるぞぐらいの勢いがあって、毎週毎週ツタヤにかよい、すこしでも目に入ったり聞いたりしたものはすぐに調べてツタヤで借りるリストに入れたり、CDを買いに行ったりした。はっぴいえんどもそのひとつだった。

浪人してたころはあまりあたらしいものには触れなかった。大森靖子くらい。ラジオかYouTubeで聴いて衝撃をうけて、次の日CDを買いにいったのが忘れられない。あとはYUKIとかcharaとかばかり聴いていた。

大学生になって、さいきんはあまりラジオを聴かなくなって、ツタヤにもそんなに行かなくなった。逆に、両親が昔買って家にあるCDがちょうど聴きたかったやつだったり、好きでよく聴いている曲を、好きな芸能人やアーティストが紹介していたりする。遠回りしたけど、ゴールした?かんじがある。

いまはちまたで、シティポップが流行しているようだ。cero、ヨギー、ネバヤンなどなどわたしも好きでよく聴くけれど、ほんとうに好きなのか、それはただ流行に乗っているだけなのか……と考えてしまう。なんか、このジャンルを聴いていることがオシャレの一部であるような、そういうステータスがある気がしなくもないし。このあいだ調べたけど、シティポップは流行の30年周期にあてはまっているみたいで、流行るのがあたりまえなのか〜と時代のくりかえし感を見た。女の人のまゆ毛が太くなったり細くなったりするやつと一緒なのか。そう思うとしらないだれかに操作されているかんじがして、いやだなあとおもった。あと5年くらいしてもこういう音楽が好きだったら、ほんものだな。経過をみるひつようがある。そのころにはジャズとかクラシックを本格的に聴きだして、ポップ・ロックなんてねぇ……みたいなこと言ってたりしたらそれはそれでおもしろいなともおもうけど。

言いたいことやしってほしいことをつめこみ、書きだすと、はじまりとおわりがつながらなさそうで、とちゅうがしんどくなる。もっと短いことばで、わかるようなわからないような、そういうのが書きたいのに、へたくそだ。手帳に書いている日記も、その日のこと1から10まで書くことが大事だとおもっていて、そういうふうに書いているけど、そんな日記はむだにおもえてくる。このあいだ、電車でなにもすることがなかったから、4月5月あたりの日記を読んでいたのだけど、ただただはずかしくなっただけでなんにもおもしろくなかった。どんなきもちも、わすれないように残しておきたいとおもってよくばって書いているのに、空っぽなかんじがした。いまの生活は、すきに夜ふかしもして、すきな友人とだけつるんで、お金もすきなことだけにつかって、とてもたのしいけど、それだけといったらそれだけ。きゅうにこわくなった。

長い日記

今日の夢は、テレビ番組の「大学生カップルお見合い企画」みたいなのに参加する夢だった。さいきんしばらく会っていない高校のともだちと一緒に参加していて、5:5くらいのわりかしこじんまりしたやつだった。その企画の内容は、一日中その男女でどこか田舎の列車にひたすら乗って、最後に野外上映の映画をみんなで見るというもので、とくに無理やり二人ずつにさせられて話すとかはなくて、どちらかというとテラスハウスてきなかんじだった。自分はその企画に参加しながらも、「いまのこのシーンがテレビの中のタレントさんたちにああだこうだいわれるんだろうなあ」とかいう冷めたことをずっと考えていて、とくにたのしめなかった。でも、その最後の野外上映のときに、一緒に参加したともだちが、わたしの目の前でよこで見ていた男の子とキスをしていて、それを見てあせり、くやしくなっていた。映画がおわったあとも、そのともだちは何事もなかったかのようにしれ〜っとしていて、夢の中で、なんなんこいつとおもった。で、映画がおわったあと、最終的にいいとおもった人の名前を紙に書くんだけど、とくにこれといっていいかんじの人がいなくてなかなか書けなくて、もういいやとおもって、背はあまり高くないけど見た目がおしゃれでいちばんかっこよかった「佐藤くん」の名前を殴り書いた。下の名前もちゃんとあったけど、わすれてしまった。名字は確実に、佐藤であった。顔ははっきりおぼえているけど、佐藤くんは現実世界で見たことない人だった。ともだちとキスしていた人もしらないひと。そういえばきのう見た夢も、またべつの高校のともだちと合コンに参加する夢だったんだけど、そこにいた男の子も全員会ったことのない人だった。その合コンでは、いちばんうるさくて騒がしくて、なんか好きじゃないなあとおもった人にねらわれてしまって、嫌で嫌でトイレに逃げこんでいた。そういう夢に出てくる、見知らぬだれかはいったいどこから生成されているのだろう。じつはもう会っている人なのか、それともこれからどこかで出会う人なのか。まったく関係のない人なのかもしれない。まあでも、夢の中の人に恋をしてしまったわけでもないから、どうでもいい。

今日は三限がテストで、その授業はほとんど出席していないのにぜんぜん勉強していなくて、持ち込み不可だし、朝早めに起きて勉強しようとおもっていたのに、いつもどうりになってしまった。きのうのよるは今日の四限のゼミのレジュメ作りに追われていて、結局それも3時半くらいまでかかったので、まあ起きれるわけはなかった。それでも三限まではそこそこ時間があったので必死にやればたぶん勉強はまにあったけど、ふつうにCDをかけてシャワーを浴びたりし、ゆっくり準備をしてしまった。

今日は暑かった。駅まで歩いている途中で、ネバヤンを聴こうとおもってipodをくるくるいじっていたら電池が切れた。最悪だとおもった。しかたないので、そのまま蝉のなき声を聴きながら歩いた。やっと駅に着いて改札の前に立ったとき、定期をわすれたことに気がついた。ベンチにかばんをおいてしっかり探してもやっぱりなくて、ほんとうに最悪だとおもった。わたしは高校生のとき、部活の練習に寝坊して遅刻したときに「定期わすれちゃって、家にとりに帰って〜えへへ」みたいな嘘を何回かついたことがあるけど、これは実際にやるとわすれちゃったえへへ〜みたいなテンションで言えるようなことではないとはっきりわかる。めちゃめちゃくやしくてめんどくさいし、自分をぶん殴りたくなる。次この嘘を使うときにはもっともっとくやしがらないとだめだとおもった。財布をみたらお金もぜんぜん入っていなくて、定期がないと交通費がそこそこかかるので、とりに帰ることにした。走って走ってしんどいし、暑くて暑くて、ほんとうにイライラした。

やっと学校の最寄り駅に着いたときには、試験開始の10分前で、いいタイミングでバスに乗れば5分でつくからまにあうんだけど、そういうときにかぎってちょうどバスは行ってしまったあとで、7分くらい待たないと次のバスは来ない。最悪だ。もうがんばるしかないとおもって、ひたすら走った。また暑くてしんどくて、ipodもないし、こんなにも不幸が重なっていやになって泣きそうになった。勉強もしていないし、もうぜんぶやめたかった。走りながら、今日はほんとうについてない日だと確信した。でも、こんなに嫌なことがあったんだから、次はいいことがあるはずとおもって、きっとテストが意外とかんたんで、そんなに勉強していなくてもできるんじゃないかとおもった。ポジティブといえばそうかもしれないけど、一方で、学校に行く満員電車でたまたま、立っている自分の前に座っていた人がここで降りんの?みたいな駅で降りて、自分がすんなり座れてしまうとその日一日これからなにか嫌なことが起きるにちがいないとおもって、ラッキーとおもうよりもなんだかおびえてしまう。これは、子どものときによく見てた、天才テレビくんでエンディングにかかっていた「いやなことがあったらいいことがある〜順番にくる〜」みたいな歌の影響だとおもう。どんな歌だったかいまはもうおもいだせないけど、はじめて聴いたとき、ほんとうにそうだ!と強く感動したことはおぼえている。この歳になっても、刷り込みみたいに、まだまだ染みついているみたい。

結局テストはぜんぜんできなくて、たぶんだめだった。しょうがない。論述試験で問題は選択式だったし、いけたかとおもったけど無理だった。あまかったことを反省している。こんなにできないならあんなに一生懸命走る必要はなかったし、そういうことをかんがえたらまた今日の自分にむかついた。四限のゼミの発表もレジュメがんばったわりにあまりうまくできなかったし、今日はほんとうの厄日だとおもった。だから、とにかくはやくうちに帰りたくて、明日も提出の課題があるし、ほんとうに自分は性格が悪いとおもうけど、今日はともだちと飲みに行く約束をしてたんだけどそれを断ろうとおもった。でも、じゃあ飲みはやめてごはんにしようと言われたので、とりあえず、図書館で課題をしながらともだちの五限がおわるのを待った。待っているうちにいろんなことがどうでもよくなって、課題ももうまた帰ってからでいいやとおもえて、結局ともだちとごはんを食べにいった。そうしたら、そこからの時間は、今日いちにちの自分最悪とおもったぶん以上の自分最高とおもうことがおこって、結果的に今日はほんとうに良いいちにちになったとおもえたというはなし。帰りの電車の中では、なんだかこころがあたたまりすぎて泣きそうになったし、なんかいも自分は自分でよかったとおもった。さいきんに起こったいやなこともいいことも、どれも自分に必要なもので、それがあったからいまの自分があるわけで、きっとそれはこの先も同じで、だから大丈夫なんだとおもえた。

それでも、だから、次は嫌なことの番だということはわすれていなかった。だからきっと、朝、定期をとりに帰ってまた駅に戻ってきたとき乗ってきた自転車が撤去されているにちがいないとおもった(今日はちゃんとお金を払うところじゃなくて、ちょっとずるいところにとめてきてしまっていた)。電車から降りて、いそいで自転車置き場にかけよると、ぽつんとわたしの自転車はちゃんとあった。それをみて、あ〜今日はほんとうにいい日だなあと、にまにましながら自転車にまたがった。夜の音をしずかに聴きながら、わざとぐにゃぐにゃ蛇行するように自転車を漕いだ。ipodの電池がないのもぜんぜん気にならなかった。

マンションに着いて、自転車置き場に自転車をとめようとしたら、自転車置き場の下の段がひとつも空いていない。下段がいっぱいなことはそんなにないのに。うちのマンションの自転車置き場は、上段と下段にわかれていて、下段にとめるのはすんなりいくんだけど、上段にとめるのには、一度自転車をとめて、上にある自転車を入れておくところをひっぱって出して、そうするとそれがななめに出てくるので、そこに自転車を入れて、また上にもどさないといけない。とにかくめんどうくさい。背がちいさいわたしにとってはたいへんな力作業であるし時間もかかるので、ほんとうにやりたくないことであった。しかも朝はその下段から自転車を出したわけで、今回上段にとめたらこんど自転車を使う時は、その入れる作業の逆をしないといけない。めんどくさい。

その、自転車がいっぱいの自転車置き場の下段を見て、ため息が出て、また最悪だ、今日はついていない、とおもった。

 

紫陽花

小さいころ、紫陽花はかわいくないとおもっていた。お花は、ひとつでころんと咲いているのがかわいくて、細い一本の茎に支えられているその、か弱そうな感じとか、雑草の緑や土の茶色にぽつんと映えるようにそこにある、そういうのも含めてお花のかわいさだとおもっていた。紫陽花は、小さいお花がたくさんいっぱい一緒になって一つで、それが一つの根からいくつも咲いているから、ちがった。脳みそにも見えたし、ブロッコリーやカリフラワーぽくもあった。「あじさい」という発音もかわいくないとおもっていた。チューリップとかタンポポとか、さくらとかはかわいいのに「あじさい」って、濁点もあるし地味である。でも、わたしはなにかと紫陽花と縁があって、幼稚園のときにも母が作ってくれる座布団とかなんとかいれとかにはよく紫陽花の刺繍がしてあったし、大人の人によく紫陽花の話をされた。だから、好きになりたいのに好きになれなくて、とりあえず良いと言っておこうというかんじで、紫陽花にずっとおせじを言い続けて生きていた。そういうおもいは結構最近まであった。でも、いまはやっとよさがわかった。このあいだ、インスタだかタンブラーだか忘れたけど、しらない人のを見ていたら「紫陽花のスイミー的なところが好き」と書いている人がいて、そうかーと納得した。紫陽花はスイミーとおもえば良いんだ。そうおもうと、脳みそにもブロッコリーにも見えなくなって、ひとつひとつの花弁がしっかり見えて、かわいくおもえた。

いつだか男の子に、「紫陽花がいちばん好きなんだ〜」と言われて、なんだかその人はそういうことを言わなそうな人だったから、すごく、勝手にうれしかった。でもその人は、「でも、紫陽花ほど枯れ方がきもちわるい花ってないよね」と続けた。枯れ際が、潔くないよね、と。それを聞いて、笑ってしまった。たしかにそうだ。花は枯れるときだいたい散るけど、紫陽花は散らずにその場にいるままにして、どんどん色がなくなってしわしわになっていく。自分をきれいなままにしていなくなるんじゃなくて、汚くなってもずっといる。それに気がついて、もっと紫陽花が好きになった。

さいきん、好きとか楽しいとかそういうしあわせなおもいは一瞬で、すぐおわってしまうものだということがわかった。一つのものをずーっと、一定的に好きでいるのなんて無理だ。好きな音楽が合わない気分の日はあるし、お気に入りの洋服が似合わない日だってある、ということ。ほんとうにしょうがないこと。だからお互いに好き好き同士のカップルだってケンカするし、わたしの父と母もケンカするし、それがそもそもふつうなんだ。ずーっとずーっと楽しいってなってる人は、自分に嘘ついてるだけ。

紫陽花はもうすぐ枯れる。

 

傘がない

電車のまどに描かれるななめの点線を見て、傘がないことをおもいだす。もう止んでいるとおもっていたのに、また降り出したみたいだった。雨に濡れるのはけっこうきらい。意味もなく悲劇のヒロインを演じているみたいで、ばからしい気がする。最寄り駅に着いて電車から降りると、ホームの隙間から雨が吹き込んでいて、嫌だなあとおもった。駅の階段を下りて、周りの人たちが傘をさすために一度立ち止まるところで、なにもないけどわたしも一応立ち止まって、雨の中を歩き出した。

歩きだすと、雨はおもっていたよりつよかった。すぐに、どんどん濡れた。自然と小走りになった。チャックのついていないトートバックと、父の日のプレゼントが入った無印良品の紙袋を持っていたんだけど、気づいたころには無印の紙袋はもう色がほとんど変わっていたから、あわてておなかでかかえなおした。そのうちにくつのなかにも雨が入ってきて、きもちわるくなってくる。そうやって走りながら、頭の中ではだいぶんむかしにNHKで見た、日常の実験みたいな番組で、傘がないときは走ると歩くよりも濡れないのか?みたいな実験を、ざ・たっちのふたりがやっていたのをおもいだしていた。ざ・たっちの片方が、雨の中を歩いて、同じ距離をもう片方のざたっちが走るというやつ。たしか、その洋服についた雨の量を量ったら結局どっちも変わらないとかだった気がして、つかれてきたし、もう歩こうかとおもう。でも、おなかにかかえた紙袋がびしょびしょで紙紐の持ち手のところが破けてきたので、中身もそろそろしみてくるのではとおもって、足を止めようとしたのをやめて走り続けた。このあたりで、シャッフルで聴いていたiPodからラモーンズがかかりはじめて、悲劇のヒロイン気分とはぜんぜんちがったのでとばしたかったけれど、立ち止まれないし、かばんの中でiPodがどこにあるのかわからなかったから、がまんしてそのまま聴きながら走った。駅から家までは歩いて10分くらいだから、走るのは余裕なんだけど、一度もとまらずに走り続けたのはえらいとおもう。朝も電車に間に合わなそうになって走ることはしょっちゅうだけど、たいていとちゅうであきらめて、わざとよけいにゆっくり歩き出すから、自分においてはなかなかすごいことだった。とちゅうから、自分のシャンプーのいいにおいがして、たのしくなった。

ただいま〜と玄関のドアを開けると、おかえりという声よりも先に、リビングのほうから「濡れちゃった?」と母の声がした。「びしょびしょになった」と返事をして家に上がる。父はもう寝ていたから、父の日のプレゼントは、ぼろぼろの紙袋からそうっと取り出してテーブルの上においた。そのままお風呂に入りなよと言われたけど、なんだかんだそのままでいて、お風呂にはやっとさっき入った。あしたは天気予報が何であれ、折りたたみ傘をもっていくこと。