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人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うな、開きをした。毎年、夏がおわって、日が短くなったなあ寒くなってきたなあとおもいはじめたころから、春が来たことに嫌でも気がつくころまでの間に、この映画を見てしまう。多分もう15回くらいはレンタルしているんじゃないかとおもう。借りている一週間の間にも3回とか見てしまうから、あと去年はその時期にギャオで無料配信もしていたし、いままでに何回見たのかわからない。通してじっくり見ることもあれば、bgmのようにてきとうに流しておいたり、好きなシーンだけを見たりいろいろだけどよく見ている映画。でも、どうしてこんなに見たくなるのかがずっとよくわからなくて、考えていた。バイト先の人にも好きという人がいたけど、その人は、松ケンがたまらないとかいうので、そうじゃないとおもった。その人は30代くらいの女性だから、わたしもそのくらいの歳になって年下男子を欲するようになったら、そこが一番になるのかもしれないけど、今はそうはおもわない。

ユリちゃんになりたいし、えんちゃんになりたいとおもう。とにかく、二人がとても良い。永作博美蒼井優、もちろん二人ともの容姿もすごく好みだけど、それ以上にこの役の二人はかわいい。だからずっと、自分はどちらかというと男目線でこの映画を見ていて、その二人の魅力にやられて何度も見てしまうんだと思っていた。でも、ちょっと違うことに気がついた。私は、ゆりちゃんになって、みるめくんみたいな人に好きになってもらいたいし、えんちゃんになって堂本くんみたいな人に好きになってもらいたいとおもっていて、それを満たすために見ているんだとおもう。でもそれは、みるめくんや堂本くんが自分のタイプであってかっこいいからとかじゃなくて、また別の理由がある。私は恋愛のことほとんど座学でしか知らないようなものだからまちがっているかもしれないけど、恋愛において女の子は、その男の子を好きかどうかということより、その男の子と一緒にいる自分のことを好きかどうかということなんじゃないかと思う。それは別に素が出せるとか出せないとかそれだけじゃなくて、機嫌よくいられるとか、楽しいとか、かわいくいられるとか、そういうの全部ひっくるめてその自分のことを好きであるということ。自分が幸せになれるかどうかは、そういうところが大事なような気がする。例えば、わたしはもちろんかっこいい男の子やすごくおしゃれな男の子が自分のことを好きになってくれたら、それはとても嬉しいけど、結局それがその人の一番のいいところのような人とは、一緒にいる自分のことは、そんなに好きになれないとおもう。きっと、私はイケメンの前で取り繕わなくていいほどかわいくないから、見合うように外見も見栄を張っているとおもうし、中身だって、変なことして嫌われたくないとか、恥ずかしいとかそういうことばかり考えてしまうと思う。おしゃれなカフェに行ったり映画を見たりしてたとえそのときは楽しくても、多分その自分のことはそれほど好きになれないとおもう。

えんちゃんとユリちゃんは、それぞれ堂本くんとみるめくんと一緒にいるときの自分のことがきっと好きだとおもう。堂本くんやみるめくんのことももちろん好きだけど、彼らと一緒にいるじぶんのことも好き。同性でも異性でも、自分が好きな自分のことを好きになってくれる人のことは絶対に好きになれる。自分しか知らない、自分のかわいいところ、じぶんに監視カメラをつけて一日中監視しておかないとわからないようなところをかわいいと言ってもらえたら、とてもとても幸せなことだろう。この二人は、そういう男の子を見つけられているから、より一層かわいく見えるんじゃないかなとおもった。

あと、わたしはYUKIがすごく好きなんだけど、ユリちゃんの中にYUKIを見てしまう。まずYUKI永作博美は顔の系統は似ていると思うし、髪型もそんな感じだし、自由で天真爛漫で、ぴょんぴょんしていそうなところもなんとなく似ていて、見ていてワクワクする。

そういうわけで、この映画はわたしにとって大切な恋愛映画で、人肌が恋しくなる季節にはどうしても見たくなって、見て恋愛したくなるけど、現実は結構むずかしいということでおわってしまう。今年もあと何回見るかわからないけど、現実の恋愛につながるかはどうせまた別のはなし。

ドライなライフは意外とつめたい

家に帰ってきて、ただいま〜と言いながら勢いよく自分の部屋のドアを開けて、そのままぱたん、とベッドにうつ伏せに倒れこむと、いい匂いがする。鼻に気合いを入れてもう一度深く息を吸うと、やっぱり石けんのいい匂いがする。そのまま、ベッドに顔をくっつけたまま目を開けてみると、おもったよりすぐ鼻の先にまっ白いキャミソールがあった。そういえば、朝着替えたとき、この時期はまだ洋服の下にいつもキャミソールを着ているんだけど、今日はこの白いのを着ようとおもって、シャワーを浴びたあとすぐにこれを着たけど、洋服を選ぶときになって、白い薄手のブラウスを着ることにしたので、この白いキャミソールだとブラジャーが透けてしまうかもしれないとおもって、黒いキャミソールに着替え直したんだった。そのときにベッドに脱ぎ捨てたキャミソール。裏がえって、ぐしゃぐしゃになっていたのにまだ洗剤とボディソープのまざったいい匂いがのこっていた。

今日は「きのう8時半くらいに寝たのに、起きたの11時だった」という自慢をともだち3人くらいにした。きのう口の、べろの裏に大きな口内炎ができてしまって、とても痛くてごはんを食べるのもつらかったのだけど、朝起きて鏡で見たらすっかりなくなっていた。それでも、これだけ寝るとどうしても一日ずっと眠たくて、あくびばかりしていた。

学校がおわったあとはともだちとあそんだ。普段あまり行かない街をたくさん歩いた。今日のハイライトは、ドライフラワーの話だった。わたしが、好きな男の子の家に行って、ドライフラワーが飾ってあったら絶望しない?と聞いたことからはじまった。このあいだツイッターですごくおしゃれな男の子をみつけて、写真やらいろいろ見ていたら、部屋の写真が載せてあって、ドライフラワーが飾ってあった。花瓶に挿してあるのと、壁に貼り付けてあるのと両方あった。こんなわたしになにを言われる筋合いもないのはもちろんわかっているけれど、絶対やめたほうがいいとおもってしまった。おしゃれな女の子も、よく、ドライフラワーをすこしの束にして下向きにして、マスキングテープで壁に貼り付けたりしているけれど(インスタなどでよく見る、実際にともだちの家で見たりしたことはない)わたしはすきじゃない。そもそも、わたしはドライフラワーがきらい。小さいころ母親が、ドライフラワーは人間でいうとミイラなんだから飾ったりするのはよくない、と言っていたのを聞いていたから、なんだか見ていてこわくなる。でもなんとなく、ドライフラワーを部屋に飾ることがきらいなのは、ただ単にドライフラワーがきらいというだけではないとわかる。それはたぶん、ドライフラワーを部屋に飾るような人は、ベレー帽をかぶって外に出かけることができるし自分の服装を鏡の前で写真におさめて自分のSNSに投稿できる人だし本当は自分に必要ないものでも他人から見た自分には必要だとおもうものならわけがわからずも大事にする人だとおもうから。どうしてそういうのが嫌なのかというと自分のなかにもそういう人がいるから。で、こんなふうにわたしがドライフラワーについて熱弁していたら、ちょうど入った本屋さんに「ドライフラワー図鑑」というのが平置きしてあったので、ともだちと一緒に、あれこれ言いながらぺらぺらとページをめくった。それからまた、就活やら高校時代の話やらをして、洋服屋さんや雑貨屋さんを何軒か見てまわった。とちゅうで、たまに買い物をするかわいい洋服屋さんに入ったとき、ともだちが壁を指差しなざら笑いかけてくるので、なにかと思ってその先を見たら、ドライフラワーがすこしの束になって下向きになってマスキングテープで壁に貼り付けてあるのが6個くらいあった。そのときは、意外とかわいく見えた。でも、わたしはひとり暮らしをしたらちゃんと生きている植物をたくさん置いて、小さいのも大きいのもいくつも置いて自分のつかうコーヒーカップでお水をあげて植物園みたいにしたいとおもった。

6月8日の下書き

学校に行く途中にあるたばこ屋さんの前で一本たばこを吸って、久しぶりに吸ったらおいしかったから学校に着く前に隣のコンビニでもう一本吸ってから行こうとおもった。校門をそのまま通り過ぎてコンビニの前のベンチに座ろうとしたら、ちょうどコンビニからなんか変な人が出てきて、たぶんおじさんだけど女装していて、ハイヒールを履いていたんだけど片方のハイヒールから中敷きみたいなやつがベローンと出ていてひきづるように歩いていて、わたしが座ろうとしたベンチに座って靴を直しはじめた。隣に座るのがちょっと嫌だったから、コンビニに入ってお水を買って、その人がいなくなってからにしようと思ったんだけど、買い終わってお店を出て右を見たらまだその人がいて、にやにやしてずーっと何かひとりごとをしゃべっていて、絡まれたりしたら嫌だしめんどくさいとおもったから、もういいやとあきらめて学校に入った。三限に20分くらい遅刻していた時間で、まだ行ける時間だったけど、もういろいろ嫌になってしまったから行くのをやめてしまった。でも四限がはじまるまで暇なので、購買に行っててきとうにアイスを買って食べた。べつに食べたかったわけではなかったから、あまったるくてめんどくさかった。四限はふつうに受けて終わって、帰りにこそ、例の横のコンビニでたばこを吸おうとおもった。ベンチに座ろうと思ったらまた人がいる。たぶん同じ大学の人なんだと思うけど、すこしギャルっぽくて派手目なかんじで、めちゃくちゃわたしのことを見てきて、こいつがたばこ吸うの?みたいな顔で見られた。今日は化粧もちゃんとしていなかったし、服装も真っ青のワンピースを着てリュックを背負って白いスニーカーだったから幼く見えたのか知らないけど、顔にかんぜんにそう出ていた。本当にずーっと見られていて、背負っていたリュックをお腹のほうにくるっとして、チャックを開けるところまでもずっと見られたような気がした。リュックのなかで手をがさごそしてたばことライターをつかんだけど、恥ずかしくなって嫌になって、やめた。財布だけリュックにしまって、そのまま歩き出した。すごく自分にむかついた。そのギャルもむかつく。いっそのこと小汚いおじさんになりたかった。こんなこと思うならもうタバコなんて吸うな、このサブカルクソ女ダサいブス!とおもった。
そのまま駅まで歩いて、電車に乗る。今日はこのあとライブに行く予定だったから移動。タワレコに寄って、never young beachとミツメの新譜を購入。ミツメは旧譜を買うとポスターが付いてくると書いてあったので、まだもってなかったシングルも買った。もらったポスターは部屋に飾ろうとおもう。そういえば、タワレコの前で、月9にでている歌手の女の子が何か飲み物を配っていた。ちらっとしか見えなかったけどかわいかった。母が一生懸命月9を見ているから帰ったら自慢しようとおもった。わたしはスーツを着たサラリーマンが仕事帰りにタワレコに寄って試聴しているのを見るのがだいすき。今日は二人くらいみた。スタバにいる、おとなしさうな男子高校生の次くらいにすき。ライブハウスに移動。ここのライブハウスはもう10回くらい行ってるけど今日初めて迷わずにいけた。ここでミツメを見るのはたぶん2回目。そういえばこないだはここに来たのは1月だ。以外とひさしぶりだった。そのときは隣にいた男の人に話しかけられて、駅まで一緒に帰ったきがする。ドリンクチケットをお酒と交換して待機。ドリンクをお酒にすると、ライブ中にトイレに行きたくなってしまうからいやなんだけど、最近はもうあきらめている。ふつうにトイレに行ってしまう。それよりもほろ酔いになってゆらゆらしてるほうが大事。ライブはとてもよかったし、トイレ行かなかったからずっとよく見えた。かっこよかった。それから、ミツメギャルは揃いに揃ってみんなおしゃれでかわいい。目の前でみていたカップルが彼女めちゃくちゃかわいいし彼氏も背が高くてかっこよくて、うらやましかった。ライブの間もずっとくっついてゆらゆらしていて、いいなぁとおもった。

帰ったら聴きたい音楽が待っているのはしあわせ。さっき買ったCD、はやくおうちに帰って聴きたい。いつもCD買うと、家に着くまで聴けないもどかしさも好きだけど、がまんしきれなくて気持ち悪くなるからCDプレイヤーがほしい。小学生のころ使っていたやつはこわれてしまったので、ハードオフかどこかで見つけたら買おうかな。
ライブがおわってお腹空いてしんどかったので、ちかくの吉野家で牛丼をたべる。昨日、飲んでけっこう酔ってしまって、そのときの自分の醜態をおもいだしては、今日はいちにちずっと死にたかったけど、ライブに行って元気が出た。おかげで牛丼もおいしくたべられた。
と、ライブがはじまる前に書いていたけど、べつにそんなに元気はでなかった。ライブはとてもよかったけれど。ふくろうずの人がいた。エアリフトを履いていた。牛丼はおいしかった。

5月24日の下書き

今日は、起きたら11時でびっくりした。夢に星野源がでてきて、星野源と同じサークルで、わたしはよく遊んだりしてなかよくしていいかんじなのに、会いたいって言えなくてずっと会っていなくて、星野源の近況をともだち伝いで聞いて会いたくなって、なんで自分はこんな我慢しちゃうんだろうってともだちに泣きつくシーンで目が覚めた。すごくかなしくて、起きてからもぼーっとしばらくかなしかった。きのうラジオ聞きながら寝落ちしたからだろう。

11時半に家を出たかったけど、間に合わなくて、50分くらいに家を出た。定期を忘れたことにマンションの敷地内を出たあたりで気がついて、取りに戻った。ちょうどいい時間の電車がなかったから、快速のとまるひとつ先の駅まで歩いた。今日は、大滝詠一をたくさん聴いた。もうちょっと暑くなるまでがまんしようとおもっていたけれど、がまんできなくて最近よく聴いている。15分くらい遅れて3限の教室に入った。3、4週間ぶりに出た授業だった。席が空いていなくて、一番前の列に座るしかなかったけどがんばった。4限はゼミで、まだあまり仲良くなりきれていないとなりの席の子に、今日もかわいい服着てるねいつも洋服かわいいよね、と言われてうれしかった。

帰りはともだちと駅まで歩いて、今日は天気もいいし暇だから公園でも散歩して帰ろうかとおもったけど風がつよかったのでやめた。そのかわり、最近見つけたいい感じの古本屋さんで、ずっとさがしていた澁澤龍彦の本と森茉莉の本を見つけたので買った。あと駅の本屋で散歩の達人を買った。さいごの一冊ですこし傷っぽかったけれど、気にせずレジに持って行った。

家に帰って、テラスハウスの録画をみた。あたらしく来た藝大のひとはとてもかっこいい。とてもかっこいいので、ねむる前、自分がテラスハウスに住んで、その藝大生となかよくなる妄想をしようとおもってあれこれやってみたけど、上手にできなかった。

2016夏ミックス

 
あと、ユーチューブにあがっているユザーンとkakatoのサマージャム'95と、サーカスナイトの向井秀徳カバーのやつと青葉市子のカバーのやつそれぞれ、インド映画のわけわからん歌たちいくつか、をクリップボックスに落としてよく聴いた。
 
 

女は女である

かわいくなりたいなあとおもう時期。痩せたいとか肌荒れ治したいとかはしょっちゅうおもうけど、かわいくなりたいとか自分をかわいくしたいっていうまっすぐな願望は、ちょっとスパンの長い生理の周期みたいに、たまーにしか来ない。めずらしく今回のはけっこう長続きしている。たとえば、ゾゾタウンでミニスカートを買おうか迷っているところとか(いくつか前の記事でミニスカートなんて一生履かないとおもったこと書いたのに)、髪の毛を切りすぎて男の子みたいになったのを気にして、毎日マスカラをつけてビューラーでくりんとカールまでしているところとか。あと、もっとちゃんとかわいい服を着ようとおもった。大きめのTシャツにデニムとか、膝下丈のスカートとか、シンプルなワンピースとかばかりじゃなくて、もっと、袖がちょっとふりふりしてるノースリーブとか、ぴったあとした体のラインの出るニットとか、若いうちにしか着れないような、女性らしいものを着よ!とおもう。わたしが今着ている服の9割くらいは、妊婦になっても母親になっても着れるのようなものだ。はやく冬にならないかな。寒くなってきたらもこもこのニットを着て、去年買ったハウエルのダッフルを着て、マフラーでぐるぐるにして、ミトンの手袋をして外に出たい。冬になればタイツをはけば良いから、やっぱり迷ってるミニスカートも買おう。髪の毛もそのころにはのびているだろうし。あしたは休みだから、衣替えをして、たまってるアイロンがけを済ませて、ギターの練習をしよう。にきびのくすりがなくなったから皮膚科にも行きたいけど、どうせ行かないだろう。

ネトストの歌

自分は変なことをしているのかもしれないとおもうけど、そういうのってみんながみんな他人に言わないようにしているだけであって、じつはぜんぜん普通のことなんじゃないかともおもう。こっそり自分がやっていることはみんなこっそりやっていることなのか、そうじゃないのか、わからない。そういうことを相談できる相手は限られてくるし、そういう話できる人は自分と似ているからたいてい同意を得られるし、自分が世間一般とどのくらいずれているのか永遠にわからない。そもそも、「自分は変わっている」とおもっている人はその、自分の変わっている部分を大事に甘やかしているからよくないとおもってしまうし、わたしもそういう人間だと誰かにおもわれているとおもうから嫌だ。

かれこれもう5年くらいネトストしている人(女性)がこのあいだ入籍していて、時流れたな〜とおもった。ふつうに一般の人で、会ったこともないし話したこともないけど、もうその人のことならたいがい知っている。通っていた高校も大学も仲の良い友人も旦那さんの顔も元彼の顔も勤めていた会社も知っている。はじめて見つけたとき、ぜっっったいに気があうだろうなあとピーンときて、それからネトストするようになって、その人が読んでいた本は何冊も読んだし、音楽も映画もいくつも真似した。その人のツイッターのお気に入りから自分好みの情報を得ることはもう自分の日課である。服装の好みはちょっと違うんだけど、その人の好きなものはもう熟知しているから誕生日なんかには素敵なプレゼントをあげることができるとおもう。ここまでくると、もうすぐ会うのではないか、とすらおもってしまう。わたしが会社に勤めるようになったら、何かしらの形で会うことがありそうでこわい。向かい合って丁寧に名刺を交換しあったりしそう。もちろん、ちゃんとはじめて会うふりをして、ちゃんと探り探りの会話からはじめて、そういうところはわたしはちゃんと上手に嘘をつけてしまうから、なんでも知らないふりをする。そうやって本当に仲良くなってしまうんじゃないか、でもそんな自分はとてもこわい。ただのストーカーである。そりゃあ5年前から自分のSNSを見漁っている人間とは、話も合うし好みも趣味も合うに決まっている。どんなに仲良くなってもこんな事実を知ったら恐怖を感じるにちがいない。でも、もしかしたらこんなのみんながやっていることで、こうやって人は仲良くなっていて、平然と知らんふりや嘘をついている人はそこらじゅうにいるのかもしれない。わたしのインスタだって、フォローされていないけど毎日見ている人はいるかもしれないし、その人は偶然一度どこかですれ違ったことがある人かもしれないし、一度も会ったことがなくて北海道や沖縄、どこか行ったことのない国に住んでいる人かもしれない。もしかしたらそのわたしのネトストはインスタとタンブラーとこのブログも見つけて全部紐付けして、今日はインスタにこんなふざけた写真をあげた一方で深夜にこんなに重い文章書いている、ってぜんぶばれているかもしれない。わたしのSNSの何かをこっそり見て、わたしがやっているのと同じように音楽や映画や本を真似している人もいるかもしれないし、ぜっっっったいにこの人と気が合う、仲良くなりたいとおもってくれている人もいるのかもしれない。でもそんな他人のことをあれこれ一生懸命見ているのは自分だけで、ふつうの人はこんなことをしていなくて、わたしのことなんて誰も気にかけていないのかもしれない。なんだか、永遠に答えのわからない、箱の中身はなんでしょうをやらされている気分。こうかもしれない、いや違うかも、でもこれがこうだからこうかも、でもこれだってこうだからこうかもしれない、とぐるぐるおわりがない。

こんな文章を書いていて、もしいるのなら、わたしのネトストはびびってしまうかもしれないなあとおもったりした。