昔好きだった人のこと

小学1年生のときに好きだった男の子のことを思い出した。

ちょっとぽっちゃりしていて、特に運動ができるわけでもなく、かっこいいわけでもなかったけど、色が白くて目がキラキラしていた男の子だった。お父さんが近くのおしゃれなパン屋さんのオーナーか何かで、品のある感じの子だった。わたしは、外で泥だらけになって遊んだりする女の子で、このころは運動も男の子に負けないくらいできる子だった。どうやって好きになったのかは全く覚えていないけど、たぶん席が近かったとかそんなんで、その子もわたしのことが好きで、休み時間とか放課後に二人きりで遊んだりしていた。

わたしは1年生が終わったとき、とおいところへ転校することになった。でも、父の転勤についていくだけだったから、3年間だけ、と決まっていて、5年生になる頃には同じ小学校に戻ってくる約束だった。

今でも覚えているけど、引っ越しの日に、その男の子がそのパン屋さんのお父さんの車に乗って、私のうちまで来てくれた。車から降りてきて、わたしも母と一緒にあいさつをした。そしたら、そのお父さんが「〇〇、お小遣いためて、プレゼント買ったんだよね」と、その男の子に言った。男の子は、すごく悲しそうな顔で、わたしにプレゼントをくれた。わたしは、会いに来てくれたことが嬉しくて嬉しくて、すごくニコニコしていたのに、その男の子は今にも泣きそうな顔をしていて、それがよくわからなかった。自分とお別れするのを悲しんでいる、ということに気がつかなかった。わたしに会えて、何でそんなに悲しい顔するの?という感じだった。プレゼントの中身はプーさんの目覚まし時計で、それから何年もの間それで起きていた、その男の子のことを忘れてしまっても、使っていた。

たしか、離れ離れになっても何回か文通をした。でも、小学生の恋愛なんてかわいらしいもので、わたしは新しい学校ですぐ、運動のできる元気な人のことを好きになったし、きっとその男の子もそうだったと思う。

 

小学5年生になったとき、約束通りわたしはその小学校に戻ってきた。みんな覚えてくれていて、帰ってきたことを喜んでくれたけど、その男の子はもういなかった。わたしが転校している間に、その子も別のところに引っ越してしまったらしかった。

小学1年生のあの時以来もう、一生会うことはなかったし、これから会うこともないと思う。別に悲しいわけでもないけど、人間そんなもんなんだなあと思っておもしろくなる。あの日の自分は、一生のお別れだってことはすこしも考えていなかったし、その男の子も、わたしの母も、そんなことは考えていなかったと思う。でも、あの日が一生の別れで、もう会うことはなかった。

今も、そういうお別れがたくさんあるんだと思った。何年かして、あ〜あれがあの人との一生の別れだったな〜って思うようなことが。別に片方が死ぬとかそういう大きなことが起こらなくても、意外と会えない人は多い。わたしは、それをあまり悲しく思えない。別に、だからもう一度会いたい、とか強く思うようなことがほとんど無い。今だって、その男の子に会いたいかと言われれば、会いたく無い。それがこわい。もっと、人に対して執着したほうが、人生は楽しいし楽だと思う。

今日、インターネットでその男の子の名前を検索しようとした。でも、名前の漢字が思い出せなくて、できなかった。思い出さないようにしているのかもしれないけど、見つけられなくて安心した。

2017/03/01

今日は、はやく起きて学校に行く予定だったけど行かなかった。いつものようにだらだら準備をして、それから、やっと就活用の写真を撮りに行った。

写真を撮る前に、隣の美容室でお化粧をしてもらう予約もしていて、やってもらったんだけど、それが最悪だった。一般的に見たら、自分がいつもしているてきとうな化粧よりも見栄えがいいものだったんだろうと思うけど、もう、わたしは本当に嫌だった。就活が終わったら、写真はもし余るようだったら燃やしてやる。データを入れてもらったDVDも、はさみを入れて処分する。あんなに鏡の中の自分が気持ちわるかったのは、はじめてのことだと思う。寝起きのむくんだ顔の自分よりも、ものもらいで片目が腫れている自分よりも、どんなに肌荒れしている自分よりも、おたふく風邪で顔がパンパンの自分よりも、他人の顔で、気持ちわるかった。

撮影はすぐおわって、写真も選んで、受け取りは後日だったので、係りの人が「今日はこれで終わりです」と言って、エレベーターまで送ってくれた。そこで、もう耐えられなかったので、お手洗いお借りしていいですかと言ってトイレに逃げ込んだ。鏡の前に立って、水に濡らしたティッシュでらんぼうにまゆげを拭いて、ケバい目をごしごしこすった。わたし、本当は、こんなことしたくないんだよ〜って思っていたら、涙が出た。スーツ着て、慣れないヒールを履いて、こんな化粧をされて、もう嫌だ嫌だ嫌だーってなった。水じゃ化粧はもちろんきれいに落ちなくて、目の周りはよけい黒くなった。そんなことをしていたら、この先もこんなことだらけなんだと思って、悲しかった。ぐしゃぐしゃの顔面のまま、マスクをつけて、エレベーターに乗った。

それで、もうはやく忘れたかったから、映画でも見ようと思って、映画館によって、映画を見て帰った。「たかが世界の終わり」を見た。結局、目の周りが黒くなったまま映画も見て、電車に乗って、家まで帰ってきてしまった。

変わらないまま

片方が変わらないものであるなら、もう片方は変わっていくものか、もしくは、もう変わってしまったものになる。とくに、片方が男で、もう片方が女だったら、そうだと思う。

変わらない、っていうのは、過去を基準にしてそれと比べて変わったとか変わってないとか言っているように思えるけど、ほんとうはそうじゃなくて、自分と比べているんだと思う。自分との距離感が、変わらないのか変わったのかということで、なんか変わったね〜って言われても、それはその人が昔と変わったんじゃなくて、自分とその人との間に、昔と違う感じがあるということになる。だから、それだけではほんとうに変わったのはどっちなのかわからないと思う。

 

ラ・ラ・ランド」はヒロインのミアが変わっていくほうなら、セバスチャンは変わらないほう。「カルテット」では松たか子が変わったほうで、クドカンが変わらなかったほう。「ニュー・シネマパラダイス」は主人公の男の子が変わっていくほうなら、ヒロインが変わらないほう。「さくらの唄」も主人公の一ノ瀬利彦が変わっていくほうなら、仲村真理が変わらないほう。「ニキの屈辱」は加賀美くんが変わっていくほうなら、ニキちゃんが変わらないほう。「うみべの女の子」は磯部が変わっていくほうなら、小梅ちゃんが変わらないほう。

 

「ニュー・シネマパラダイス」と「さくらの唄」は、それぞれが大人になって立派になったとき、変わらないもの、の対象であるヒロインと自分との間にできてしまった距離感に気づいて、自分の大切にしていたものがわからなくなってしまう、もう取り戻すことのできない、忘れていたものを思い出してしまう、そういう切なさが描かれている。

「ニキの屈辱」と「うみべの女の子」も、女の子のほうが変わらない話だけど、ここで描かれているのは、置いていかれる方の悲しさであるからまたちょっとちがう。

 

置いていかれることは、きっとどんなことであれ、誰でもいい気持ちはしないと思う。だから、変わりそうのないもの、の対象を見つけて、安心しようとする。それで結局、その変わらないはずのものが変わったら、あいつも変わっちゃったな〜とか、ここもああなったか〜って、勝手に文句を言って、悲しくなっている。変わった変わらないの基準は、自分の中にあるんだから、変わったほうは、多分そんなに悪くない気がする。それに、その変わらないものがずっとそのままでいたとしても、それに対して変わった分の自分を振り返って悲しくなるんだから、意味がない。

 

 

書いているうちによくわからなくなったけど、とりあえず今日ラ・ラ・ランドを見た。

考えてみるとわからないこと

お酒飲んですぐ赤くなって、すぐ酔う自分は嫌いだし、嫌いな人とも上手に話せる自分は嫌い。何事に対しても、いつでも逃げられるようにしている自分は嫌なやつだと思うし、自分はわかってる、みたいな構えをしたがる自分には吐き気がする。それでも、結局は、しあわせになりたいとか彼氏がほしいとか、てきとうに言うし、動物とか子どもはかわいいと思うし、羽目をはずしすぎるのはこわいし、夜は寝ないと次の日つらい。

自分のあたまの中を、ありのままぜんぶ見せてしまうのはもったいないと思っているし、やりたいことをたのしそうにやるのは、ちょっと恥ずかしい。それでも、わかってくれる人はいると思っているし、わかってくれる人だけわかってくれればいいと思ってる。力を抜くことに力を入れていて、ほんとうはなにもわかっていない。このブログだってそうだし、手帳のなかも、アイポッドのなかも空っぽで、つまらない。人に合わせて生きていて、対人関係の上でしか人格がない。癒し系でもなければ、変わり者でもない。でも、どうやったって背は小さくて声は高いし、夜中によくかわらない映画を見たり、駅からの帰り道、石を蹴りながら帰ったりする。

酔って終電で帰ってきて、布団のなかでこんなことを考えていても、あしたはちゃんと朝起きてバイトに行くし、いまの自分のことをすごくはずかしく思うし、たぶん朝はくるりとか聴く。結局、自分は自分にすごく甘くて、自分のにおいがだいすきで、自分がいちばんいいとおもっていて、でもそういうのはかっこわるいって知っているから、自信がないようにしているし、嫌われるのはすごくこわい。自分のなかのものはぜんぶ矛盾していて、きもちわるくなる。

インターンシップの話

初めて、インターンシップに参加した。こういうことをブログに書いたら、企業の人はわたしのことを特定できてしまうのかな。

インターンシップは、予想外にたのしかった。本当にたのしかった。人格の根本が歪んだ、何事に対しても斜に構えてしまう自分がこういう感想を抱くことが自分でも信じられないので、どこかで渦巻きのぐるぐるしている画像を見させられたり、瞑想しながら水の垂れる音を聞かされたり、変な言葉を復唱させられたりしてないか一生懸命思い出したけど、やっぱりそんなことはなくて、本当にたのしかったと思っているみたいだ。自分のやりたいと思っていたことではなかったけど、いろいろ体験したり、説明を聞いたりしていく中で、もしかしたらこれも自分のやりたいことなのかもしれない、と思って、本気でその会社で働きたいと思った。

よくあるグループワークだったので、初対面の人4人とずっと一緒だった。こういうのに参加する人は、どこかで自分のことをいいように勘違いしている人なんだろうと思っていたけど、そんな人はいなかった。みんないい人で、仲良くなることができた。その中のひとりのインスタを見つけてしまって、(本当は探して、見つけた)最終日の夜に見たら、遠目にみんなが写っている写真と一緒に、縦に2センチほどはある長さの文章が挙げられていた。いろいろ感謝の言葉と、「すてきな仲間に出会えた」と書かれていた。いつもだったらこういうのを見ると、なんとも言えない性格の悪さが出るのだけど、その日、うちに帰って寝る前に見たその投稿に対しては、明るい色の感情しか抱くことができなかった。すごくうれしくなったし、これ、わたしのことも言っています!と言いたくなってしまう感じだった。もちろんフォローはしていないのでこっそり思うだけだけど。

それから、最終日、わたしはなぜかケータイを家に忘れてきてしまった。「わたし今日ケータイ忘れちゃったから、ライン交換できないや……」っていう、明らか嘘っぽい嘘を、真実をして使うことができる滅多にないチャンスだった。けれど、わたしはちゃんとIDをひとりに教えて、グループに招待してもらうことができた。

 

なんか、こわくなった。本当の自分のことがわからない。疑うべきこと、ではないことも疑って、わざと自分を不幸にして生きてきたような気もするし、でも、本当に見極めるべきことを見落として、誰かに騙されて生きているような気もする。自分に嘘をつかないと、生きていけないということはわかっているけど、いつでもそのついた嘘には気づいていたいと思ってしまう。無意識に嘘をつけるようになってしまったら、本当にこわいことだと思う。でも、会社に入って働いて、お金を稼いで、そういうことをしていくためには、いいように自分に嘘と言い訳をついていかないといけないのかもしれない。

そうやって就活もして、多分、来年の今頃には、今、全然良いと思っていないような会社によろこんで入社してくんだと思う。

小説を書いていた話

今年一年、履修していた小説を書く授業が、このあいだでおわってしまった。3年間この大学に通って、わたしのことをちゃんと覚えてくれたのは、この小説の先生と、ゼミの先生と、あともうひとり学科必修の授業の先生の3人だけだと思う。他の学校にもこういう授業はあるみたいで、テレビに出ている人や有名な作家が教えているところもあるみたいだけど、わたしの先生はそういう人ではなかった。でも、めちゃくちゃ好きだった。今年で定年らしく、最後の担当の授業だったことは最近知った。

授業の時間も午後のゆっくりとした時間だったし、教室の場所も、窓からきれいな中庭がよく見えるところで、そして先生の声がトーマスのナレーターそっくりな、落ち着いたものだったので、いやな要素がひとつもなかった。そしてなによりも、30人弱の履修者の中に知っている人がひとりもいなかったことがよかった。授業の内容は、小説の書き方とかストーリー展開の話なんかは一切なくて、ただ、先生が、文学というものについていろんな作家のことを例に挙げながらぼそぼそと話すだけだった。寝ている人やケータイをいじっている人も何人もいた。前期と後期でそれぞれ3つずつ作品の提出があって、あとは授業内で、作文したり、比喩をひたすら考えたり、小川洋子の短編のつづきを書いたり、伊豆の踊子の一部を踊り子目線で書き直したり、村上春樹の改稿原稿をもとに自分の作品を改稿したり、そういう課題があった。そして先生はそれにいちいち、ていねいにコメントをつけて返してくれた。

 

後期の最後のほうに、履修者全員の作品ひとつずつを載せた作品集を作った。その作品集はみんなに配られたものとは別に、日文のオフィスに永久保管されていて、そこに行けば、誰でもどの年度のものでも読めるようにしてあるらしい。その説明に加えて、先生が「あなたたちの孫なんかがまたこの学校で勉強することになったときに、ここのオフィスに来て、おばあちゃんが自分と同じ歳のときに書いたものを読めたりしたらいいと思います。その中に、その孫がぼんやり探していたものの答えがあったりするかもしれないですよね。」みたいなことを言っていて、なんていうか、ふにゃ〜っと、にやにやしてしまった。それは、ロマンチストを冷やかすような笑いではなくて、なんか、とことん、小説の先生だ!と思って、うれしくなってしまった笑いだった。

いちばん最後の授業で、その作品集に載せた小説の感想を、生徒がお互いに書きあったものが配られた。わたしがもらった感想には、うれしいことがたくさん書いてあった。この授業を履修している人は、例えば、学内の文芸サークルに入っている集団がいたり、見るからのアニメオタクだったり、腐女子っぽい感じの子ばかりで、変わった人が多かった。中でも、いつも先生の教卓の真ん前に座っていて、横長のメタルフレームのメガネをかけた、長い黒髪で、いつもぶつぶつ何かをしゃべっている子のことを、わたしは若干引いた目で見ていた。作品集が配られたときも、その子の書くものは自分の好みではないだろうなと勝手に思って、読み飛ばしていた。でも、その子がわたしにくれた感想が、とてもうれしかった。うれしくて何回も読んだ。

先生からもらったコメントとみんなからもらった感想を読んで、その作品で自分が書きたかったようなことがちゃんと伝わったことがわかって、それが本当にうれしかったし、そういうのが自分でも書けたことがうれしい。書いたときは、自分が書きたかったことなんてよくわからなかったけど、誰かに読んでもらって、その人が思ったことを知って、自分が本当に思っていたことを知ることができた感じがする。だからこそ、他人に自分の文章を読まれることはそれなりの覚悟が必要だし、恥ずかしいことなんだなあと思った。でも、必要なことなんだと思った。

なんか他にもいろいろと思うことがあったんだけど、上手にまとめられない。あと、書いた小説はブログに挙げられない。

 

 

 

二重生活

「今日、夢に〇〇ちゃんが出てきた。グラタンを食べてた。二回。『ちょっとグラタン食べていい?』って言って、グラタンを食べて、食べ終わって、それでもまだなんかそわそわしてて、『ごめん、もう一回食べていい?』って聞いてきて、いいよって言ったら、もう一回グラタンを注文して、よろこんで食べてた。」

 

「〇〇とか、彼氏できてもさ、そういう話ぜったいうちらにしないでしょ。で、日記にこそこそ書いて、にやにやしてんでしょ。ぜったいそうだよ。」

 

「〇〇ちゃん就活するの?〇〇ちゃんが会社で働いているところぜんぜん想像できない。カフェの店員とかやってそう。」

 

「このあいだ、パパと、なんで〇〇がもてないかって話してたんだけど、やっぱりがさつなところだよ。〇〇、人を見る目はあるんだから、あとはちゃんと、その選んだ人に選んでもらえるようにならないとだよ。女子力が低いっていうか、そこらへんに靴下ぽいってしてるところとか、そういうの。」

 

「こういう文章だけみると、すごい、一つのことしか見えていない人〜って感じがする。周りが見えていない、視野が狭くて、自分のことばっかりな感じ。こういう業界に行きたいんだったら、もっといろんなものを見ていて、それもいろ〜んな角度から考えてみてます〜って、アピールした方がいいと思う。」

 

「〇〇さん、中学校の先生とかかと思った。似合いますよ。なんか、若くて、生徒目線の、いい先生やってそうです(笑)」