好きなものを引き寄せる

最近、好きなものを引き寄せることが多い。とても嬉しいことである。

この間、何か面白いものはないかと思い、趣味の合いそうな人のツイッターのフォローリストをくにくにと見ていた。そのなかで、ある雑誌のアカウントがぱっと目に留まった。こんな雑誌あるんだ、知らなかった、いい感じだな、と思ってツイートを何個か見てみた。リツイートが多く、すぐそのリツイートされたツイートのアカウントに飛んだ。そこからまたそのリツイートのアカウントに飛んで、また飛んで、ということを何度か繰り返した。

次の日、学校の帰り道に、いつもは寄らない本屋さんに寄ってみた。ずっと寄ろうと思っていたのだが初めて入った。やはりとても良いなあ、と10分ほど店内を見て回る。ある一冊の本がぱっと目に入る。エッセイ本である。なんかいい感じだな、この著者知らないな誰だろう、と思い、手に取ってみる。表紙の裏をめくってみる。簡単に書かれたプロフィールを見ると、歳は自分よりだいぶん上であるが、通っている大学の卒業生であった。そのとき、自分の中で何かが興奮したのが分かった。くだらない。自分の大学はそれほど好きでないし、人に大学名を言うことだってできればしたくないくらいである。愛着も母校愛もないはずであると思っていた。しかし、この本の表紙の裏に自分の大学名を見つけてとても嬉しくなったし、この本と著者に対する関心も、ぐいーん、と高まった。同じ学校、同じ出身、同じ年齢、同じ血液型、「同じ」ということはどうしてこんなにも人と人との距離を縮めるのだろう。ほとんどすべてたまたまであるし、だからといって特に意味はないはずなのに。不思議である。それにすこし、気持ち悪い。そんなこんなで、その本に興味を奪われ購入しようと思ったが、今は他に読んでいる本がいくつかあったのでとりあえず今回は買わずに店を出た。いつか絶対に買うが。

そのまま学校から駅に向かって歩いていくともう一軒本屋がある。ここの本屋はしょっちゅう寄る。その日も寄った。入って一番目立つ場所に、ある雑誌があった。その売り場に近寄ってみると、昨日ツイッターで見つけたアカウントと同じ名前であった。これこれ、これかあ、と嬉しくなって顔がほころぶ。手に取りぺらぺらと中を見てみると、つい5、6分前に見ていた名前が。さっき寄った本屋で手に取ったエッセイ本の作者である。しかもその人はいくつものコンテンツに渡って登場している。表紙に戻ってみると、特集、とその著者の名前がでかでか書かれていた。これは絶対に今買うべきだなと思い、もう一冊買おうと思っていたカルチャー誌と一緒にレジに持っていった。

我慢できず、電車で開く。なんとなく目に留まった対談を読み始める。例の大学の先輩のエッセイストととある漫画家の対談。今日知ったばかりの人でも、この一連の偶然の重なりの中で、自分にとってはもうすでに「好きな人」になっていた。まだ一冊も著書は読んでいないのに。対談相手の漫画家も初めて見る名前であった。こんなにも知らないものだらけで、自分のことを恥ずかしく思った。対談には、いつも利用する大学の最寄り駅近くの飲み屋やラーメン屋の話題があがっていたりと、仲間にはいれる話題が多く、吸い込まれるように読み入った。

家に帰って、寝る前にベッドの上で、この間買ってまだ読んでいなかったマンガを読む。短編集かつ作者のエッセイマンガというようなものである。そのうちの一コマに、またもや見覚えのある名前を見つける。先ほど読んでいた、対談相手の漫画家である。さすがにすごいなと思って、にこにこしてしまう。そのうちの誰一人とも顔を会わせたこともないし、自分の存在すら知られていないのに、その人たちの住む世界にいれてもらえたような気がして嬉しくなった。

こういう喜びはどうやっても自分の中でしか感じることができない。この話を誰かにしたとしても、自分が味わったほどの興奮を分ちあえることはない。自分の中で、静かに、くうー、と喜びを噛み締めるものである。

ほかにもいくつかこういったエピソードを書こうと思ったのだが、疲れてしまった。話したい、書きたい、とは思うものではあるがやはり、こういうものは自分の中で処理するのが一番良いようである。