似たものどうし

あまのじゃくとおたまじゃくしは似ている。中学生くらいのころまでよくまちがえていた。いつも‘‘じゃ’’を発音する直前に、まちがいに気が付く。このまちがいは結構かわいいと思う。

いちごといいちこは似ている。小学生のころお父さんに、これっていちご味なの?と聞いたら笑っていた。もう成人していて飲めるようになったから、自分で飲んで確かめたい。

ぬとむは似ている。死ぬを死むって書いちゃったり書きそうになっちゃったりして、いつもひとりでひっそりなごむ。いぬのぬーだからぬーってやらないと間違えそうになる。こないだツイッターで、「ぬとむ」と検索したら、ぬとむをまちがえると言っている人は結構いた。

右と左は似ている。手の、親指と人さし指の間にほくろがあるほうが左。自分ではそう覚えているつもりでいたけど、最近よく考えてみたら、左!って言われるといちいち頭の中で、右、じゃないほう!とやっていると気付いた。それは0.1秒とか、そのくらいのすごい速さでやっている。右利きだからか、右はさすがにわかっているみたいでよかった。でもたまに、とっさに言われたときとか、その、右、じゃないほう!ってやっている、右、のときに間違えて、本当に右にやってしまうことがある。じゃないほう、が間に合わない。

東と西は似ている。北が上、というのはもう絶対的。さっきも言ったがわたしは右利きで、そして、わたしの通っていた中学校の名前が東中学校だったから、自分に関係あるものどうしを結びつけて、右にあるのが東。そして、東じゃないほうが西。でもこの覚え方は何年かに一度、久しぶりに使ったときめちゃくちゃ不安になる。もっと良い覚え方がほしい。

LとRは似ている。こないだ学校の知覚心理学の授業で、この英語の発音はLとRのどちらでしょう、という問題をやったら、ほとんどすべて逆に書いていた。日本人はこれの区別ができないのはしょうがないらしいんだけど、根本的なところを逆に覚えているみたいだった。自分がLと思ったものはRで、Rと思ったものはL、と覚え直そうとしたけど、そこまで自分を信用できないから結局のところ理解できていない。

ギリシャキューバは似ている。どっちがどっちだかわからなくなる。だからどっちかに行きたい。さすがに最近はオリンピックはギリシャ、とわかるけど、高校生の地理とかではよくまちがえていた。場所も文字面も全然違うのに、何でずっとごちゃごちゃなんだろうと思ったら、国旗がちょっと似ていた。両方とも青と白のしましまが入っている。小さい頃から十何年もの間、自宅のお風呂の壁には水に濡れても大丈夫な世界地図が張られていて、そこに全部の国の国旗も載っていて、お風呂に入る度にそれを眺めていた。だから国はそれぞれの国旗の印象が強いみたい。2年前くらい、ふと気が付くとその世界地図は新しいものに変わっていて、それには国旗が小さくしか載っていないから、最近は結構忘れてきてしまった。

コーネリアスコーカサスは似ている。コーネリアスって聞くと強そうって思う。たぶんコーカサスオオカブトをイメージしてしまうんだと思う。ちなみにわたしがここで言っているコーネリアス小山田圭吾のほう。

PLとSLは似ている。PLとSLとは、登山をするときの班におけるリーダーとサブリーダーのことで、PLがリーダーで班の一番後ろ、SLがサブリーダーで班の先頭になって進んでいく。これがどっちがどっちなのか覚えられなくて、SLのSは、さいしょのさー、のS、と覚えた。すごく分かりやすかったから、良い覚え方があるよと後輩に教えていたら近くにいた友達に、さいごのさー、もSだよ、と言われた。そんなことに1年くらい気が付かなかったなんてこわい。

火曜日と木曜日は似ている。なんとなく、火曜日と木曜日は、自分が同じテンションな気がする。なんだろう、水曜日との距離感が一緒だから?月火水木金土日ってあったら、まず金と土のあいだをちょきちょき切って、月火水木金と土日に分けたくなる。そして、月火水木金のほうを半分に折る。あー、そうすると月と金も似ていることになるのか。それは違う。うまく説明がつかないけど、とりあえず火曜日と木曜日は似ている。

クリームソーダといちご大福は似ている。どちらも自分の中でのちょっとした贅沢品で、ふたつの好きなものが合体していて、共存しているようでばらばら。それ自体がおいしくて、ひとくち食べて、あ〜っしあわせ〜〜っ!というよりも、それを目の前にして、眺めて、食べて、にやにやして、また眺めて食べる、その最初から最後までやって、はあ〜しあわせだあ〜という感じ。これらほど、安価でわくわくして幸福になれるものはなかなかないと思う。

他人には理解してもらえない、自分にしかわからない似ているものはたくさんある。なんとなく、あの人とあの人は似ている、とかになるともっといっぱいある。自分の中に抱くイメージはどうやってできているんだか。わたしの場合は色が大きく関わっている気がするけど、似ている、ということに頼って、ちがいをちゃんと理解しようとしないのは、よくない気がする。芸能人でも、異性でも友達でも、好きな人と似ていると言われるのはうれしいけど、最初に似ていると思ってしまうとちがいを見つけたときにちがうじゃん!ってなるからだめ。絶対ちがうのに、そうわかっていてもそうなるから。そんなことは言っても、結局似ている人には惹かれてしまうし、似たものどうしは仲良くなってしまう。そして、その人のことを、もっともっと知りたいって思う。

知りたいと思うには 全部ちがうと知ることだ

星野源のくせのうたより。