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ネトストの歌

自分は変なことをしているのかもしれないとおもうけど、そういうのってみんながみんな他人に言わないようにしているだけであって、じつはぜんぜん普通のことなんじゃないかともおもう。こっそり自分がやっていることはみんなこっそりやっていることなのか、そうじゃないのか、わからない。そういうことを相談できる相手は限られてくるし、そういう話できる人は自分と似ているからたいてい同意を得られるし、自分が世間一般とどのくらいずれているのか永遠にわからない。そもそも、「自分は変わっている」とおもっている人はその、自分の変わっている部分を大事に甘やかしているからよくないとおもってしまうし、わたしもそういう人間だと誰かにおもわれているとおもうから嫌だ。

かれこれもう5年くらいネトストしている人(女性)がこのあいだ入籍していて、時流れたな〜とおもった。ふつうに一般の人で、会ったこともないし話したこともないけど、もうその人のことならたいがい知っている。通っていた高校も大学も仲の良い友人も旦那さんの顔も元彼の顔も勤めていた会社も知っている。はじめて見つけたとき、ぜっっったいに気があうだろうなあとピーンときて、それからネトストするようになって、その人が読んでいた本は何冊も読んだし、音楽も映画もいくつも真似した。その人のツイッターのお気に入りから自分好みの情報を得ることはもう自分の日課である。服装の好みはちょっと違うんだけど、その人の好きなものはもう熟知しているから誕生日なんかには素敵なプレゼントをあげることができるとおもう。ここまでくると、もうすぐ会うのではないか、とすらおもってしまう。わたしが会社に勤めるようになったら、何かしらの形で会うことがありそうでこわい。向かい合って丁寧に名刺を交換しあったりしそう。もちろん、ちゃんとはじめて会うふりをして、ちゃんと探り探りの会話からはじめて、そういうところはわたしはちゃんと上手に嘘をつけてしまうから、なんでも知らないふりをする。そうやって本当に仲良くなってしまうんじゃないか、でもそんな自分はとてもこわい。ただのストーカーである。そりゃあ5年前から自分のSNSを見漁っている人間とは、話も合うし好みも趣味も合うに決まっている。どんなに仲良くなってもこんな事実を知ったら恐怖を感じるにちがいない。でも、もしかしたらこんなのみんながやっていることで、こうやって人は仲良くなっていて、平然と知らんふりや嘘をついている人はそこらじゅうにいるのかもしれない。わたしのインスタだって、フォローされていないけど毎日見ている人はいるかもしれないし、その人は偶然一度どこかですれ違ったことがある人かもしれないし、一度も会ったことがなくて北海道や沖縄、どこか行ったことのない国に住んでいる人かもしれない。もしかしたらそのわたしのネトストはインスタとタンブラーとこのブログも見つけて全部紐付けして、今日はインスタにこんなふざけた写真をあげた一方で深夜にこんなに重い文章書いている、ってぜんぶばれているかもしれない。わたしのSNSの何かをこっそり見て、わたしがやっているのと同じように音楽や映画や本を真似している人もいるかもしれないし、ぜっっっったいにこの人と気が合う、仲良くなりたいとおもってくれている人もいるのかもしれない。でもそんな他人のことをあれこれ一生懸命見ているのは自分だけで、ふつうの人はこんなことをしていなくて、わたしのことなんて誰も気にかけていないのかもしれない。なんだか、永遠に答えのわからない、箱の中身はなんでしょうをやらされている気分。こうかもしれない、いや違うかも、でもこれがこうだからこうかも、でもこれだってこうだからこうかもしれない、とぐるぐるおわりがない。

こんな文章を書いていて、もしいるのなら、わたしのネトストはびびってしまうかもしれないなあとおもったりした。