小説を書いていた話

今年一年、履修していた小説を書く授業が、このあいだでおわってしまった。3年間この大学に通って、わたしのことをちゃんと覚えてくれたのは、この小説の先生と、ゼミの先生と、あともうひとり学科必修の授業の先生の3人だけだと思う。他の学校にもこういう授業はあるみたいで、テレビに出ている人や有名な作家が教えているところもあるみたいだけど、わたしの先生はそういう人ではなかった。でも、めちゃくちゃ好きだった。今年で定年らしく、最後の担当の授業だったことは最近知った。

授業の時間も午後のゆっくりとした時間だったし、教室の場所も、窓からきれいな中庭がよく見えるところで、そして先生の声がトーマスのナレーターそっくりな、落ち着いたものだったので、いやな要素がひとつもなかった。そしてなによりも、30人弱の履修者の中に知っている人がひとりもいなかったことがよかった。授業の内容は、小説の書き方とかストーリー展開の話なんかは一切なくて、ただ、先生が、文学というものについていろんな作家のことを例に挙げながらぼそぼそと話すだけだった。寝ている人やケータイをいじっている人も何人もいた。前期と後期でそれぞれ3つずつ作品の提出があって、あとは授業内で、作文したり、比喩をひたすら考えたり、小川洋子の短編のつづきを書いたり、伊豆の踊子の一部を踊り子目線で書き直したり、村上春樹の改稿原稿をもとに自分の作品を改稿したり、そういう課題があった。そして先生はそれにいちいち、ていねいにコメントをつけて返してくれた。

 

後期の最後のほうに、履修者全員の作品ひとつずつを載せた作品集を作った。その作品集はみんなに配られたものとは別に、日文のオフィスに永久保管されていて、そこに行けば、誰でもどの年度のものでも読めるようにしてあるらしい。その説明に加えて、先生が「あなたたちの孫なんかがまたこの学校で勉強することになったときに、ここのオフィスに来て、おばあちゃんが自分と同じ歳のときに書いたものを読めたりしたらいいと思います。その中に、その孫がぼんやり探していたものの答えがあったりするかもしれないですよね。」みたいなことを言っていて、なんていうか、ふにゃ〜っと、にやにやしてしまった。それは、ロマンチストを冷やかすような笑いではなくて、なんか、とことん、小説の先生だ!と思って、うれしくなってしまった笑いだった。

いちばん最後の授業で、その作品集に載せた小説の感想を、生徒がお互いに書きあったものが配られた。わたしがもらった感想には、うれしいことがたくさん書いてあった。この授業を履修している人は、例えば、学内の文芸サークルに入っている集団がいたり、見るからのアニメオタクだったり、腐女子っぽい感じの子ばかりで、変わった人が多かった。中でも、いつも先生の教卓の真ん前に座っていて、横長のメタルフレームのメガネをかけた、長い黒髪で、いつもぶつぶつ何かをしゃべっている子のことを、わたしは若干引いた目で見ていた。作品集が配られたときも、その子の書くものは自分の好みではないだろうなと勝手に思って、読み飛ばしていた。でも、その子がわたしにくれた感想が、とてもうれしかった。うれしくて何回も読んだ。

先生からもらったコメントとみんなからもらった感想を読んで、その作品で自分が書きたかったようなことがちゃんと伝わったことがわかって、それが本当にうれしかったし、そういうのが自分でも書けたことがうれしい。書いたときは、自分が書きたかったことなんてよくわからなかったけど、誰かに読んでもらって、その人が思ったことを知って、自分が本当に思っていたことを知ることができた感じがする。だからこそ、他人に自分の文章を読まれることはそれなりの覚悟が必要だし、恥ずかしいことなんだなあと思った。でも、必要なことなんだと思った。

なんか他にもいろいろと思うことがあったんだけど、上手にまとめられない。あと、書いた小説はブログに挙げられない。