4月18日(火)

靴がだめになったので、帰りにあたらしいのを買った。それから今日もストッキングをやぶってしまったので、ストッキングも買った。ワイシャツも一枚買い足して、ついでにバイト先に顔をだすかまよって、結局やめて、本屋によって帰った。

 

元気でいるようにすることは、かなり大事だとおもった。このところ、しばらく元気が出なくて、就活関係で人と接するときはもちろん元気にするけど、あとは週一回のゼミで先生と友人何人かと話すくらいで、それ以外はだれにも会わなかった。家に帰って親に話しかけられてもあいまいな返事ばかりで、ほとんどなにもしゃべらず、ごはんもおいしそうに食べないし、ずっと自分の部屋にこもっていた。いちいち今日はどの会社説明会に行ってきたとか、どこのは通った、落ちた、とか言うのがけっこうしんどかった。

家の中で笑ったりするのは、毎週木曜日のハライチのラジオを聞いているときだけだった。ハライチのラジオは救世主だったので、生で聞いてかつ、いつタイムフリーを使ってしまうか(一回しか聞けないから)をかなり慎重に考えているくらいだった。

 

自分のなかにある感情の入れ物がいっぱいになっていて、表面張力でぎりぎりこぼれないというかんじで、なにかの拍子に一滴でも水が入るとあふれ出し、泣いてしまうじょうたい。

先日はその一滴が、朝家を出る前に、父に「家のコピー機をなおしてほしい」とたのんだときの父の態度だった。きのうは平日だったけれど、振休で家にいるというので、「コピー機の接触が悪いのをなおしておいてほしい」とたのんだ。そうしたら、一回で聞き取ってもらえなくて、かなりイライラしたいやなかんじで「はあ?なに?」と聞き返されてしまった(今となっては、ずっと生きた心地のしない、反応のうすい娘に気をつかうのもいやになっていたんだとおもうけど)。

こらえてもう一度言いなおすと、父は「あーはい、それならすぐ直せるからやっとくよ」と言った。じつはこの何日か前にもいちど、コピー機がおかしいということを父に話していたので、簡単なんだったらこないだ言ったときになおしておいてよ、とおもった。

わたしはその前日、このコピー機がこわれていたせいで、深夜3時にコンビニまで走ったのだ。まあそのときは別に、直してほしい、とまでは伝えていなかったから自分がわるいのだけど。

 

そこから、相手が真意をわかってくれないこと(面接やエントリーシートで伝えたいことがうまく伝えられないなど)で溜まりに溜まっていたくやしさがあふれ出してしまって、最寄り駅まで歩く途中にがまんできなくなった。なんか変な音楽を聴いていたんだけど、それでもだめで、歩きながら泣いた。

基本的に最後の一滴はかなりくだらない出来事だ。弱いようにおもえて笑ってしまうけど、このあいだまではほんとうにそんなかんじだった。

その一滴は、やさしい言葉とか態度のときもあって、説明会のときの人事の人の締めの言葉だったりとか、吉本ばななの文章だったりとかもした。3日連続くらい、キッチンをぱらぱら読んで、だいすきだ~と思って涙をこぼしていたこともあった。

 

今日も、そんなかんじで家を出て、朝から選考に行った。お昼前におわってケータイを見たら、父から「がんばりすぎるなよ~」とラインが来ていて、はっとした。

こんなに思い詰めていてもなにも良いことはないし、腫れものみたいになって、まわりに迷惑をかけるだけだということにやっと気がついた。

 

わたしは、こういうところがかなり要領わるい。自分で自分を、自ら好んで追い詰めてバカだとおもう。ストイックといったらそうなんだけど、だんだんとストイックでいることに満足感を得てしまうのだ。浪人して、受験に失敗した理由もそれだった。一年間、いろんなことをがまんして勉強をがんばっているつもりだったけれど、実際は「がまんしてがんばる」ということをがんばっていただけで、勉強自体に身を入れていなかったんだなあと、終わってから気づいた。そういう失敗をまたしそうになっていた。

 

ええと、そういうよわよわじまんをしたいのではなくて、キャノン・バード説じゃなくて、ジェームズ・ランゲ説だ、ということを自分に言い聞かせるために書いている。

つらいとおもってると実際つらいし、たのしいことなくなるし、おもしろいことを見落としてしまうよ~ってブログに書いて、自分を励ます変なひと。