忘れる唄

ちょうどいいタイミングでアイフォンが壊れた。

特に何があったわけでもないけれど、なんかもう色々全部めんどくさくていやになっていた。人事の人やゼミの先生にメールの返信をしないといけないとかそういうのも投げ出したかったし、SNSも、手に届くところにあると見たくもないのに見てしまうからそれがめんどくさいし、全部忘れさせてほしくなっていた。

そんな気持ちを代弁してくれたのか、突然、アイフォンの画面が全くつかなくなったのだ。壊れてうれしかった。

だからしばらく直すつもりはなかったのだけど、毎日のように母に「会社の人から電話があったらどうするの」とか「そういうときに限って大地震が起こる」とか言われて、おしまいには財布から一万円札を取り出して、「お金なら出してあげるから直してきなさい」と言われてしまった。実際に、おとといバイト先の社員さんからの電話がつながらなくて、連絡が取れずに迷惑をかけてしまったから、まあしょうがなかった。

結局、アイフォンなしの身軽な生活は一週間でおわり。修理に持って行ったら、水もれと言われて、一万円ちょっと払って新しいものに交換してもらった。

ただ、バックアップは取っていなかったから、写真などのデータ類はまっさらになった。うれしい。べつに何も困らない。

 

わたしは、たぶんわりかし記憶力がいいほうで、あのときだれが何を言ったとか何をしてたとか、そのとき自分はどう思ったとか、そういうどうでもいいことをいつまでも覚えている。

自分が言った無責任な言葉は都合よく忘れていることもあるけど、かなりしょうもない、細かいところまで、思い出そうとすれば思い出せる。友達と思い出ばなしをするときは、気持ちわるがられるのがいやだから、ほどよく忘れたふりをしているくらいだ。なんてめんどくさいんだろうと思う。

記憶力がいいとは言っても、べつに円周率を40000ケタ言えるとか、アメリカの歴代大統領を10分で暗記できるとかいうスペックは全くない。わたしの記憶力は、ときどきおせっかいをしたり、持ちたくないことを根に持ったり、思い出にさみしくなったりかなしくなったりするだけ。

「忘れる」のはとても都合のいいことで、損をするのはいつでも「覚えている」ほうだとおもう。

 

アイフォンの修理屋さんに、アップデートに失敗してデータが消えてしまった、と相談に来ている年配の人がいた。

先週のめがねびいきで、小木も「アイフォンのアップデートに失敗して、豊本の結婚報告にどなたですかって返事をしてしまった」という話をしていたし、わたしも、社会人になるときに、じぶんのアップデートに失敗して、記憶喪失にでもなっちゃえばいいのにね〜ってかんじ。