疲れた

疲れた疲れた疲れた。もう、一人でいるとあれこれどうでもいいことばかり考えてしまって、疲れる。友達と遊ぶかバイトに行くかしないと自分が壊れそう。バイトには昨日も行って明日も行くけど、バイトのない今日のほうが疲れる。本を読んでもマンガを読んでも音楽を聴いても、頭の中で何かを考えて、自分がずっと誰かと話している。疲れる。インスタを見るのはもっと疲れる。自分より華やかで楽しそうでかわいい人のかわいい写真、疲れる。友達の今日行ってきたカフェ情報飲み会のガヤガヤ良いと思った音楽小説漫画映画の紹介、うるさいうるさいうるさい。どうでもいい疲れる。かわいい美大生の楽しそうな写真たち、うらやましくて疲れる。もう何も見たくない。でも本当の自分はそういうことがしたいんでしょう。

自分の中にはたくさんの女の子がいる。おじさんや男の子もいるが、何種類もの女の子のほうが、よく、出てくる。ひとつのことに対して、いいよやんなよっていう子と、いいややめといたほうがいい、っていう子。その二人のバトルにつき合わされて、本当に疲れる。こういう矛盾した気持ちは何事に対してもあって、いつもいつもあって、疲れてしまう。その二人は、天使と悪魔というよりは、普通の女の子と少し性格の悪い女の子である。性格の悪いというか、ひねくれている、と言ったほうが良いのかもしれない。具体的に言うと、例えば、自分がかわいく撮れた写真を、ラインのアカウント画像に設定したがる人がいる。設定しようとして、画像を選んでまるの中におさめようとした瞬間に、いやいや、そういうのナンセンス〜と言ってくる人が出てくる。そういう画像アカウント画像にしたがる女子、いるよね〜っと言ってくるやつ。さすがに自分のピンの顔アップの自撮り写真をアカウント画像にしたがる人はいないけれど、だれかに撮ってもらったちょっと下向いている写真みたいな、思いっきし自分かわいいは否定しつつの控えめな自分かわいい主張をしたがるやつはまだまだ自分の中にいるのだ。その子は、友達と派手に遊んだことを主張したがったり、自分の見つけた良いサブカルみんな知らなそうマンガや、最近読んだ小説、見たミニシアターでしかやってない系映画、自分が行ったインディーズで活躍するお洒落サブカルバンドのライブやCD、ちょっとコアな難しい美術館の展示をインスタにあげたがる。実際にそいつに憑依されたまま、そういう写真を公開することもあるけれど、あとになってやっぱり消したくなってくるものだ。そういうものをSNSに投稿しだしたら、なんだかその、投稿することが第一の目的になってしまっているようになる気がしてしまうから。マンガや映画や音楽を「自分を着飾る物体」にしてしまっている気がする。それらは、その中身に本質があるものなのに、その外身だけをいっぱい集めることに意味を見いだしている、そんな気がするのだ。こんなこと考えている自分が、一番めんどくさいというのはわかっているのだけれど。

SNSが発達したおかげで、この今の世の中は、みんなが自分自身の「どうでもいいこと」を簡単に主張しやすくなった。それは、どんなつまらない人間でも簡単にできる。それっぽい文章をぽちぽちと画面に入力し、それっぽい写真を選んで並べれば、簡単にそれっぽくなる。他人から見える自分を簡単にデザインできるようになったのだ。もちろん、便利で楽しいこともあるが、なんだかなあと思うこともある。好きな人の家に行って、彼の部屋の本棚やCDラック、クローゼットを見なくとも、彼が最近読んだ本やマンガ、よく聴く音楽、買った洋服も簡単に分かってしまう時代。みんな、見えるものからまず見るものだ。どういう人なのだろう?と他人について考える時間が減ったのではないか。なんだかさみしい。大好きな友達や、昔好きだった人のことを、ああ、今何をしているんだろう?何を考えているんだろう?と、思うよりも、ツイッターやインスタグラム、フェイスブックから読み取れる、その人自身が「見せたい」情報を受け取ることに夢中だなんて、さみしいし、薄っぺらい。

逆に言えば、他人から見える自分は、自分が見せないと見えないようになったのだと思う。わざわざ、見せて?と言ってくる人はなかなかいないのではないか。自分が興味のあるものや好きなものは、どんどん自分からアピールしていかなければ、そのことをみんなにわかってもらえない。だから、わたしも我先にと、みんな知らなそうマンガ最近読んだ小説ミニシアターでしかやってない系映画インディーズサブカルバンドちょっとコアな美術館の展示を、利用しなければ、と思ってしまうのだ。でもそれは、ネット上に放たれた瞬間、空っぽになるように感じる。どんなにハートマークやイイネをもらっても、埋まらないくらい空っぽ。それでも、こんなことは言っても、自分より先にそれっぽい人にみんな知らなそうマンガ最近読んだ小説ミニシアターでしかやってない系映画等々を発信されたら、わたしのほうが先に知ってたのにいいっっっ…!と悔しくて悔しくてヒーヒーなるのだ。これも、矛盾。疲れる。

ちなみにこの記事は、自分の中にいるサブカルひねくれクソ女にすべてゆだねて書いた。 だから実際の現実のわたしは、こいつを阻止しようとする普通の女の子のおかげで、もうちょっとは可愛げがあるはずである。