鈴木もぐらの離婚がショックすぎた

空気階段の鈴木もぐらが離婚した。ラジオでは離婚したという事実以外特に深掘りはしていなかったしいまのところどこにも詳しいことは話していないので、ここから先に書くことは全て私の妄想になるけれど、自分と結びつけて考えてしまっていたことがあるため、いちラジオリスナーとして、また空気階段のファンとして、また年頃の女性の考えとしてここに書き残す。あくまで自分の思いとして書かせてもらう。

まず最初に、私は鈴木もぐらが持っている美しさのようなものをとても信頼していた。会ったこともないし話したこともないけれど。異性として魅力を感じていたというより、人間として彼のことをとても信頼していた。なんというか彼は、とにかく全てが一貫していて、気持ちがいいのだ。言葉にするのが難しいけど、ラジオで話す身の回りの話も、流す選曲も、テレビで見かける佇まいも、人との接し方も話し方も、小出しにされるエピソードから垣間見えるこれまでの生き様も、全て。彼から下心のようなものをあまり感じないのである(下心があったとしても、それを感じないくらい爽やかに見える)。たとえクズな行動が注目されていても、核の部分で全ての行動が目的と本質が一致しているように見えるというか、本能的、とも言えるのかもしれないが・・・。それは狙ってできることではなく、そして誰にでもできることではないので、とてもきれいだなと思っていた。

ここから自分の話と混ぜこぜにしてしまうが、私は人を好きになるならそういう人間がいいと思ってこれまで生きてきた。ましてや付き合ったりセックスしたり、結婚したり家族になったり。そういう一大イベントは、そういう、不器用でぐちゃぐちゃなきれいな人としたいと思っていた。したいというか、そういう人とした方が幸せになれる、と思って。でも、大概そういう人間はクラスの中でかっこよく目立ったり、二人きりになったとき私のことをスマートにどきどきさせてきたり、そういうことはないので、一般的に、異性として魅力的に見えることはまず少ない。それでも自分は、異性として魅力的な人よりもこういう人間として美しくて信頼できる人を選び抜きたいと思った。こういう人は爆発的な何かを持っていて、自分にとっての唯一無二のスーパーマンになり得ると思って疑わなかった。つまり私は、不器用であれば不器用であるほど人は誠実で、一見汚く見えるものほどピュアできれいで、信頼できると思っていた。そして鈴木もぐらはその代表格のひとりだった。

5年前、私はひとりの男の子と付き合った。それは私がここにこれまで書いてきたようなきれいな人で、ずっと探していて、やっと見つけたと思った。付き合ってからも自分が思っていた通りどこまでも誠実で、優しかった。二人の間に大きな問題が起きたことはなかったし、このまま結婚したいと思っていた。その人が健やかに生活し続けてくれれば、それ以外に何もいらないとすら思った。たとえ彼から私への誕生日プレゼントが計算ドリルとシャープペンでも。カップルが楽しむイベントに合わせて素敵なディナーを予約してくれたり、プレゼントをラッピングして用意してくれたりしたことがなくても。外食といえばカウンターで仕切りのある油そばが定番でも。それも全部、彼の“真っ直ぐ感”というか、彼が持つ美しさの一つのように映っていた。

でも、突然それが全てひっくり返って苦しくなってしまうときが来た。なんで自分ばっかり(他の女の子とたちと比べて)こんな思いをしているんだろうと思ってしまったり、どうして彼は(友達の彼氏と比べて)これができないんだろうと思ってしまったり。“相手を思いやる心”としか表せないような何かが不足していることにイライラするようになった。とはいえ彼からの思いやりがない、ゼロというわけではないというのもよくわかっていた。プレゼントやカップルっぽい演出みたいな目に見えてわかりやすい“思いやり”よりも、いつでもピュアに誠実に自分と向き合ってくれて二人の間に何ひとつとして疑うことがないことの方が、本当は“思いやり”の濃度が高いはずなのに。どうしてそれでは満たされないのか。そしてそもそも彼を美しいと思った時から彼は何一つ変わっていなくて、好きになったその人の核みたいなところを否定するようになってしまった自分のこともすごく嫌だった。でも、どうしてもそうなってしまった。ピュアで誠実できれいな人とずっと一緒にいるとこんなにも自分が疲れてしまうのかとびっくりした。ピュアで誠実で美しくいるがゆえの自己中さ(でも一方でそれはとてもきれいに見えた)があるんだなと思った。

長くなってしまったが、自分的に鈴木もぐらに感じるような魅力と同じような魅力がある人と付き合って、向き合いきることができなかった私にとって、結婚して子供もいる鈴木もぐら夫婦はなんとなく自分の思い描いていた理想を形にした人たちのような気がして、存在してくれているだけで嬉しかった。そして絶対に幸せになると思っていた。(離婚=幸せでないというような書き方になってしまって申し訳ない。でも、一度あそこまでピュアに愛し合っていた人たちが別れる決断をしたという意味で、一旦ここは幸せは続かなかったという捉え方をしたいと思う。)だから、勝手にこんな妄想をして、勝手にショックを受けた。もちろん、もっと前向きなお別れだったということには間違いないと思うのだが。勝手に自分に重ねて、こういうことを語ってしまって恐縮だけれど、ますます、こういう人との向き合い方についてわからなくなってしまった。真っ直ぐで、ピュアで、不器用で美しい人。正解を知っている人がいたら教えてほしい。

 

20210120

先月、入社して初めて会社で朝を迎えた。その日に終わらせるべき仕事が終わらなくて、やっと終わって退勤したのが午前7時。あれはしょうがなかったと思っていてもういいんだけど、それ以降、何時まででも会社に残れるようになってしまった。

仕事量もあるけどそもそもの活動開始時刻が遅いだけというのもかなりあるので、本当によくない傾向。改めなければ死ぬぞ。。昨日も午前3時ごろまで会社にいてしまった。

今週は月曜日締め切りの仕事があったので、土日にやろうと思って持って帰ってきていて、でも結局やりたくないやりたくないと騒いで日曜日の深夜2時半まで手をつけなくて、それが終わったのは月曜日の朝10時で、月曜日から徹夜後の体になってしまった。それで月曜日は22時くらいに寝て火曜日は昼から出社してその結果仕事が終わらなくてタクシー帰り。。今日は在宅勤務にして、全然やること終わってない。ほぼほぼラジオ聞くかネットフリックス見てた。

緊急事態宣言下はなるべく最低でも2日に1日は在宅勤務でと会社から言われているから、出社する日にまる二日分くらいの作業をして、在宅の日は緊急を要する連絡と最低限の仕事以外はしないで寝ていようかな。。本当に家で仕事できないのなんとかしなきゃいけない。家にいると本当に締め切りのぎりのぎりのぎりまで活動を開始できない。ワンルームで基本の定位置がベッドだから、テーブルが物置というかほぼ本棚になっているから、椅子がIKEAの980円スツールしかないから、パジャマから着替えようとしないから、人に会わないならシャワー浴びなくていいかなと思うから、など、改善の余地はたくさんあるんだけどそういうところを直す体力とか元気がないと言い訳してる

おおきく振りかぶっての阿部くんを通して自分の中学時代を思い出した

呪術廻戦の五条悟から始まりハイキューの黒尾鉄朗、ヒロアカのホークスを経てcv:中村悠一のかっこよさに溺れている。きわめつけは友達に借りた「おおきく振りかぶって」。

私は中学時代ソフトボール部だった。先輩が引退してからはレギュラーでサードを守り、打順は2番だった。サードがやりたかったのはバッターにいちばん近くていちばん強い打球が飛んできてそれでいてファーストまではいちばん遠くて投げるのが大変で、いちばんカッコイイ感じがしたから。他にやりたい人がいなかったのと、どんなに怒られても素直に頑張るキャラ(当時)が怖いコーチに見初められて一度もその席を人に譲ったことはなかった。今思えばそんなにうまくなかった気がするから、本当に根性だけで守っていたような気がする。肩もそんなに強くなかったから、体勢を崩したときはファーストへ意地を張らずワンバンで投げろとよく注意された。3年生のときは最後の大会に向けた練習中にチームメイトのライナー打球が右目に直撃して(練習中にぼーっとよそ見していた)何週間も眼帯で過ごし一時的に右目だけ視力がめちゃくちゃ低下して最後の試合に果たして間に合うのか…!?と周囲をひと騒がせするというROOKIES」みたいなことも起こった。打順が2番だったのは打つパワーがなくて足がちょっと速かったから(当時)。でもそんなにバントをした記憶はない。

うちの市内には4校ソフトボール部があって大会はすべて総当たり戦で、1位になった学校だけが地区大会へ進み、たしかそこで1勝すれば県大会だった気がする。私の中学は私が入学した当初は県大会常連校でかなり強かったのだけれど、途中で指導してくれていた外部の怖いコーチがいなくなって、たちまち弱くなった。私の3年生夏の最後の大会は市内2位で引退した。

グラウンドはソフトボール部と野球部、サッカー部、陸上部で使っていて、練習中はキャッチミスしたボールや取れなかったノックの球が他の部活の陣地に入ってしまうことがよくあった。「いま〇〇先輩に拾ってもらったでしょ!いいな〜ずるーい」とか「今日は3回も〇〇くんのボール拾ったわ」とかがあった。たまたまそのボールが好きな人の足もとへ転がって、気づいて拾ってくれて、こちらへノーバンで投げてくれて、それをバシッとキャッチして「ありがとうございまーすっ!!」といってキュンとしたり、それを見ていた仲間にうわ〜にやにやしてるう〜〜みたいなことを言われたり、またはそれを誰かに言ったりもした。

日が長い夏場は、部活が終わってからもだらだら部室で着替えたりして19時ごろまでグラウンドにいたと思う。誰も直接的に言わなかったけど、それは遅くまで練習している野球部とさりげなく帰る時間をそろえたかったからだと思う。私の代の部員はちょうど9人いて、中には野球部と付き合っていて曜日を決めて一緒に帰る子もいたし、そうでない人もなんとなく気になる対象が野球部にいるものだった。またそれは、野球部もたぶん同じだった。

私も2年生から3年生にかけて野球部に好きな人がいた。その子はレフトを守っていて、かなり野球がうまかった。休日に野球部が学校で練習試合をしていたとき、レフトからその子が投げたバックホームでアウトを取ったスーパープレーを見かけたことがあった。それはまさにレーザービームで、きれいにアウトを取っていたのがずっと忘れられなくて、本当に心の底から“ぎゅん”という音がして、かっこいいと思ったのを覚えている。控えの投手でもあって、練習試合でたまに投げたりもしていた。部活中、わざとピッチャー交代のタイミングでトイレ行くといって、こっそりネット越しにその子が投げる姿を見ていたこともあった(野球部のホームベース側に唯一外用トイレがあった)。

という記憶を思い出したのは、おおきく振りかぶっての阿部くんが、その、中学時代に好きだった野球部の男子にちょっと似ている気がしたから。いやでも今よく考えたら似ていないかもしれない。あんなに無愛想でそっけない感じじゃなくてもっと可愛げがあってただシャイなだけで、もっと女の子のことも気にしていたかも。ただcv:中村悠一によって野球部の男子を好きだったころの自分を久しぶりに思い出しただけかもしれない。

なんて狭い世界で生きていたんだろうと思うと同時に、本当に本当に恥ずかしことを言うけど、ああいうのを青春というんだろうなと思う。あの頃は、私がその野球部の子のレフトからのレーザービームをみて悶えたのと同じように、自分の気づいていないところで誰か男の子が自分のことを見ていて、自分の気づいていないところで私のことをかわいいと思ってくれていて、私でオナニーをしていたんじゃないかと思う。そしてそういうことを思い出すと、それに恥じないよう、今もちゃんと頑張ってなるべくかわいく、気を引き締めてきちんと清潔に生きようと思える。

20200728

20200728(火)

昨日の夜慌てて仕事を切り上げてジムへ行き(どうしても行かなくちゃいけなかった)、汗だくになって帰ってきたのに気づいたらシャワーも浴びずに寝てしまっていた。

朝起きてぼんやりと、自分が昨夜、早くやらなきゃーと焦っていた仕事について思い出していた。あの仕事って「意外と急がなくても大丈夫」なんだったけ、9日(?)までにやればいいって言われた気もするな〜と思っていたら、それは夢の話だった。夢で「9日までに詳細いただければ間に合います」とメールをもらっていただけで、現実のメールボックスにはその相手からメールなんて来ていなかった。夢の中でも働いていたなんて、自分がかわいそうだと思った。

早く会社に行ってやらなければいけないことがたくさんあったのだけど、どうしてもシャワーを浴びるまでに時間がかかった。どうしてもお風呂場に向かうのが嫌で、ひとまず日曜日に作った肉じゃがの残りとごはんを温めて食べた。テレビをつけたけれど面白い番組はやっていなくて、パソコンでhuluの虹プロジェクト第一話を見ながら食べた。

だいぶん序盤でワイファイの接続が悪くなり、ぐるぐるして止まってしまった。いちどパソコンをシャットダウンしようとしても「メールが開かれているから終了できません」と言われて終了できず、イライラして、手こずって、なんとか終了して再起動して、もう一度huluを開いて続きを見ようと思ったら、すでにご飯を食べ終わっていることに気づき、冷静になってまたパソコンを閉じて、シャワーを浴びに行った。そこからはたぶん20分くらいで支度が終わり、家を出た。

夜は同期に夕飯に誘われ、仕事を中抜けしてロイヤルホストへ行った。集まったのは私含め4人。オムライスを頼んで食べていたら、みんなよりめちゃくちゃ早く食べ終わってしまって(しかもタイミングよくすぐにお皿を下げられてしまった)、ひとりの同期に「なんかすごい食べるの早くなったね。〇〇ちゃん(私の名前)忙しいんだね。」と言われた。ただお腹が空いていたからだとは思うのだけど、そう言われて正直嬉しかった。忙しかったのを他人から言われると、ああやっぱり、これって忙しいで合ってるよね、と、心置きなく自分を慰められるから。

久しぶりに集まったので話がかなり盛り上がり、気づけば3時間近く経っていた。もどってやるつもりだった仕事のやる気はすっかりなくなり、その後は会社に戻ってちょっとだけ先輩と話して(誰もいないだろうと思ったらいた)帰った。そして近所の同期(一緒に夕飯を食べていたうちのひとり)と待ち合わせて銭湯に行った。その同期はロイヤルホストから直帰し、一旦家に帰って私の分のタオルまで持ってきてくれた。

体を洗い(石鹸類もすべて持ってきてくれた・いつもこんな感じで分担している)、外のお風呂で話に夢中になっていたら、あっという間に閉まる時間になった。露天から中に戻った時、すでにおふろには誰もいなくて、脱衣所も半分電気が消されていた。外にいると何も気づかないので、ほたるのひかりでも流して欲しいと思った。髪も乾かさず、ワンピースが背中に張り付いて気持ち悪いまま、びしょびしょのまま銭湯を出た。

自動販売機で振って振ってゼリーを買って、飲みながら家に帰った。ポストには不在票が一枚入っていて、部屋は蒸していた。着替えて歯磨きをして、顔にクリームだけ塗って、髪の毛は半乾きのまま寝た。

 

 

 

 

 

 

どうしてもやりたくないことがあった

2020/4/30

このコロナ禍で仕事内容もやり方も大きく変わり、ほぼ在宅勤務で、始発のない時間帯の早朝集合も深夜のタクシー帰りもなくなり、4月の残業時間はいつもの5分の一くらいに減った。時間の使い方も自由で体力的には楽だけど、慣れないことだらけで不安も大きい。そしてなにより、上司たちがぐらぐらで我々現場は振り回されて疲弊している。

もちろんこの緊急事態でもなんとか金になるものを生み出さなければいけないのはわかるし、その方法がいつものようにはいかないので、新しいことやちょっと無茶なことをしなければならない状況だということも、わかる。

が、本当に私の上司たちは現場を捨て駒だとしか思っていなくて、とにかく人遣いが荒すぎて許せないことが多すぎる。別にそう思って上司たちはやっていないとしても、そのように下には感じているのだからそれはそう。こういうときに本性が出るというのは本当だと思った。

ていう思いがベースにありつつも言われたことをこなすという感じで、ここ1ヶ月くらい働いていたのだけど、ついに昨日の夜にまじでどうしてもどうしてもやりたくない業務内容を強要された。

 

その業務はまあ割とプライバシーに関わることで、無理やり強要される筋合いのない内容(私はそれをやるのがとにかくこわかった)。そんな仕事を現場全員に、急に連休明けからやれと、相談も説明もなく有無も言わさず連絡が来た。

そう思っていたのはわたしだけではなくて、部署の全体ラインでそれが流れてきたあとすぐに仲良くしてくれている先輩二人から個人ラインが来て「これありえないよね」という話をしていた。

でもこういうパターンはしょっちゅうあって(上から言われたことに裏で文句を言う)、それでもだからといって先輩たちが上に対して直接、変えて欲しいとかやりたくないとか訴える姿はあまり見たことがなかった。嫌だ嫌だと言いながらも我慢して結局うまくやってしまう、という出来すぎた先輩たちなのだ。

例によって今回もそうなった。「結局逃れられないね〜」と先輩からラインが来て、でも私はどうしても「そうですね〜」って返事ができなくて「ちょっと本当にやりたくないです」と返事をした。そしたら「それならやりたくないですって言ってもいいんじゃない?」と言われて、自分だけが取り残された気持ちだった。

それで、でもどう考えてもやりたくなかったので、私は現場だけのラインで「この業務を強要されるのはおかしいと思うのですが、上に交渉してもいいでしょうか……わたしはこれをやるのがすごくこわいです」みたいなことを発言した。上司のいる全体ラインで発言する勇気はどうしてもなかったのと、下っ端の自分一人で交渉すれば言いくるめられるのが目に見えていたから。一人でも味方になってくれる人を募りたかった。

でも、そのラインで言うだけでももう死ぬほどに緊張したし、手が震えたし、泣きそうになっていた。私は現場ではまだ下から2番目で先輩がたくさんいる。先輩たちは皆とても優しくてそこにはストレスなく過ごせていることが本当に幸せだと思っているけれど、実際のところ、その中にも上司たちとの内通者がいるくらいの気持ちというか、皆を心の底から信頼できていると胸を張って言えるわけではなかった。(もちろん仲良くしてくれる先輩もいるし、尊敬している部分もあるけれど、いつ裏切られても大丈夫なような距離で予防線を張って生きている感じ…文字に起こすと最低)仕事のスタンスが自分とまるっきり同じというか、まるっと真似したいと思っている人はいないというか……まあ当たり前だけど。。

現場の先輩たちに嫌われたら終わりだと思ったのもそうだし、何よりも全体でまとまりかけた案件に横槍を刺して、空気を乱す行為に免疫がなさすぎたのだと思う。

そうしたら、一人の、上に超絶話の通じるできる先輩が上司に交渉してくれて、やりたくない人はやらなくて良い、でもこの業務が今必要だと言うことは理解して欲しい、ということにまとまった。

私が言ったことに対して、そうだよね〜私ももやもやしてた〜、勇気出して言ってくれてありがとう、こんなんやりたくないよね〜みたいな声をかけてくれた先輩もいっぱいいて、頑張って言ってよかったなあと思って夜中までずーっと泣いてた。

今回は自分のわがままというか、変な正義感で、やらなくてよいという結果になったけど、日頃から感じている自分と職場のズレ、みたいなものをさらに浮き彫りにさせたと思っている。この件に関してもそうだけど、私は仕事に対して、それほどまで自分の身を削りたくないという気持ちがある。もっと隠れていたいし、個人的なところにまで仕事が入り込んでくるのが嫌だ。(まあそれが心からやりたいことだったり楽しいことならいいのだけど、今の仕事は全くもってそうではない)仕事で関わる人たちと強い結びつきも作りたくない。(というか、そこまでして仲良くなりたいと思う人に出会えていない)

でもうちの会社の人というか同業の人をみていると、喜んで自分の身を差し出している印象があるし、人間関係もどっぷりな人が多い。

 

これまでもたびたび、楽しんでやっている人がいる一方で、これを楽しめない自分はおかしいのか、どうしてもこの業務をやりたくない自分はだめなやつなのか、これはしょうがない・我慢してやるのレベルではないんだけどどうしたらいいのか……みたいなことが多々あった。そしてそれを楽しんでいる側の人たちは雰囲気てきに伝染・同調しているというより、もっと自発的なもので、もう私との違いは「性格・人間性」としか言えないようなもの。

たぶんあこがれているものも楽しいことも幸せに感じることも違って、行きたい旅先も住みたい街も違うんだろうな…って感じ。

いろんな種類の人がいてこそ、できる仕事(むしろそのほうがよいものができる)と研修とかいろいろで言われたし、自分もそう思っていたけど、もっと楽しいところがあるんじゃないかなと思い始めている。それかそもそも働くことが苦手で、どこで何をしようとこうなのかもしれないけど。

とりあえず、空気を読まないことは大事なことだと思った。同調しなくてよい。ということと、部署を異動したいと思った。どちらも忘れたくない気持ちなのでここに残す。

 

 

 

 

 

 

 

2019年の年始

1/7(月)

仕事はじめ。年末は29日から休んでいたので、会社に行くのは9日ぶりだった。ゆえに、かなりくるしかった。

30日から実家に帰っていて、一人暮らしの家に戻ったのは6日の夜だった。ドアをぱたんと閉めた途端に涙があふれてしまった。

終わってから同期(Aちゃん)と大戸屋でごはんを食べた。席に着くなり、仕事が嫌だという話をずっとしていた。結婚したら辞めちゃいたいよねとか、Aちゃんは彼氏が調理師免許を取りたいと言っていたらしくそうしたらわたしも会社を辞めて、一緒に鎌倉でカフェでもやろうと思うと言っていた。特に先輩にいじめられているわけでもないし、仕事量が多すぎなわけでもないし、1パーセントくらい楽しいと感じる時もあるのだけれど、本当に本当に辞めたいと口から軽々しく出てくるような感じなのはたぶん自分が甘いんだよね…みたいなことを私はずっと言ってた。

帰り際Aちゃんに、でも、もうちょっと元気に仕事頑張ろうよ と言われた。仕事やめたいとかそういう話はすればするほど元気が無くなっていくから良くないなと思った。

帰ってから銭湯に行った。

 

1/8(火)

この日は一日中会議で、この会議は一ヶ月に一度あるのだけれどわたしが仕事の中で一番嫌いな業務だ。朝早く起きて、何度も体温計で熱を測ったけど36度5分、36度6分、36度4分という調子だったので、諦めてちゃんと会社に行った。とちゅうお昼にお弁当が出て、おしゃれできれいなお弁当だったけど、びっくりするくらい、まったく味がしなかった。だいすきな湯葉が入っていたけど、誰かが噛んだあとのガムかと思うくらい美味しくなかった。でも他の人はみんな美味しい美味しいと言っていたので、わたしも頑張って美味しいと言った。

終わってから、彼氏のうちに行った。

 

1/9(水)

仕事の後、ひとつ前の駅で降りて天下一品でラーメンを食べた。720円のこってりラーメンを食べて、1020円出して、300円のお釣りをもらって、そのまま300円を握りしめたまま向かいのゲームセンターに入ってUFOキャッチャーでもやろうかと思ったけど、かわいいものがなかったのでコインゲームでもやろうかと思っていたら近所の同期のBちゃんから「生理きた?」とラインが入ったので「きてない」と返事をして、一緒に銭湯に行った。湯船では、会社が本当にきつくなって職場のカウンセラーを受診した同期についてBちゃんが話すのをずっと聞いていた。多分このカウンセリングの先生すごく良くないと思った。お風呂を上がった後はデニーズに行き、2時くらいまでずっと話していた。

 

1/10(木)

午前中に届くはずだった荷物が全然来なくて、会社に行けなかった。だいたい午前指定にするとそのピンポンで起きるくらいの時間なんだけど、今回は11時40分くらいだった。それを待ちながら家でちょっと仕事しながら待って、受け取ってから家を出た。すごく罪悪感があって会社に行きたくなさすぎて電車で吐きそうになった

 

1/11(金)

7時半くらいに出社して、締め切りが近い仕事を黙々とやった。昨日、その仕事はいつ終わるのか上司に聞かれて明日の18時には、と言ってしまったのでどうにかそれまでに終わらせなさればならなかった。結構厳しい上司で、ひとつ一つの工程で色々と言われて、すべての間違いを正しく淡々と注意されるので本当に怖かった。気軽に話しかけられない上司ナンバーワン。なんとか終わらせてびびりながら見せたら「よく書けてる」と言われたのですごく嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。帰り際に先輩にさっき褒められてたね、よかったねと言われて、なんかみんなわたしのこと気にしてくれているんだなと思ってちょっと仕事頑張ろうとおもった。

パラサイトがアカデミー賞作品賞を取ったことに、自分が予想以上に感激してる。すごいなあ韓国。例えば似たような映画が日本で作られていたとしても、こうはなっていなかった気がするので、ポンジュノはもちろんだけど、韓国の人たちすばらしい、おめでたい、本当にすごい。そして日本がかなしい。(負けた、悔しいとかではなく、ただ自分が生きてるところがそういうところじゃなくて虚しいという意味で)

作ってる人たちが個人的に超おもしろいと思って作ってるものは、わかるよなーと思う。作ってる人たちがみんなまっすぐで、やってることに自信があって(というかそんなことにも気づいていない、考えていない、無意識)楽しくてやっている感じ。それが、受け取る側にすごく伝わる。そういうものに触れたときめちゃくちゃ嫉妬してしまう、うらやましくて。パラサイト見終わったあと「わたしが映画監督だったらめちゃくちゃくやしい」と思ったけど、ただの凡人の今の自分でもそうだった。

わたしはそういう仕事がしたくて、そういう働き方をしている人にあこがれて、今の会社、というかそういうことができそうな会社を受けて、まあまあそういうことができそうな会社に内定をもらって、そこの作り手側として働いて、もうすぐ2年が経つ。だけど、まったくそんな体験はできてない。さまざまな事情があって、自分がやりたいことなんてひとつも思い通りにできない。個人発の好奇心が仕事になる仕事だと思っていたけど、常に受け手と上司のことばかり考えて、そこに自分が夢中になれる無敵状態なんて来ることない。

そして、なんとなくわかるんだけど、たぶんこの会社にいるかぎりその無敵状態が訪れることはない。なんでそう思うかというと、上の人たちが皆そうだから。(先輩や上司たちが無敵状態になっているのを見たことがないし、そういう嫉妬も感じたことがない)惰性でもの作ってるだけ。会社員とはそういうもので、窮屈でストレスで苦しい。会社入ってからの自分はずっと、ステージの上で、踊りたくない音楽で踊らされて、中途半端に踊って恥ずかしがってる、みたいな状態。いちばんかっこ悪いし誰も得しない。達成感もなく、ただ体が超疲れるだけ。夢中になって踊れたらそれなりに見てる人も楽しいと思うんだけど。

仕事をしていて、すべてが茶番に感じるときがある。「この時間ってなんですか!?みんなやりたくないのにこんなことしててまじで無駄じゃない!?誰のため何のため!?えっきもちわる!」みたいな感じ。そんな気持ちを噛み殺して目の前のものを褒めたりかわいいって言ったりしてる。

2年そんな中にいただけで、いろんなものへの興味とやる気がなくなり、好奇心の先もどこへ向いているかわからず、きたい服も、やりたいことも、どんどんわからなくなっていってる。

お金と引き換えに大事なものを差し出した感じ。でもこのままは嫌だな。

だけど明日は昼頃起きてだらだらして何もせず、明後日になって会社へ行き、そのうちに給料日が来て、カードの引き落とし日が来て、ぐるぐる輪廻転生。。