ソラニンと散歩の話

ひさしぶりに浅野いにおソラニン』を読んだ。

友だちに、芽衣子ちゃんに似てると言われたから。似てると言われると他人事におもえなくなって、ひさしぶりにマンガを読んで泣いた。芽衣子ちゃんは2年で会社を辞めていたなあ。

 

さいきん毎日、家に帰りたくない。最寄駅の5こくらい前で降りて、4時間くらいかけて歩いて帰りたいという思いをおしころして、一つ前の駅で降りて20分くらいかけて帰っている。いまの夜の気温は本当に最高だから、永遠に散歩をしていたい。

歩いているときは、歩いているだけで何かしている気になれるからすき。うまく言えないけど、移動しているとあんしんする。ずっと到着したくない。

じぶんの将来もそうなのかもしれないなあとおもっている。また就職の話しになっちゃうけど、就職したらもう人生到着しちゃうみたいでこわい。ずっと散歩していたい。

 

ソラニンは、浅野いにお作品のなかでは人間の闇とかどろどろしたうつっぽさが少なくて、物足りないくらいに思っていたけど、それは今までじぶんがモラトリアムの中にいたからだったのかもしれないなあとおもった。想像と妄想の未来がたくさんあって、現実とむきあわなくても生きていけた中にいたから。

恥ずかしいけど、自分は勝手に、その辺のスーパーで買い物しているお母さんや、自転車の前後ろに子供を乗せているお母さんになんてならないとおもっていた。だからと言って、とくべつな何かになれると思っていたわけでもないけど、なんとなく、そのへんの普通になって平凡で退屈な毎日をおくるだけのようにはならないというか、ほんと恥ずかしいけどそう思っていたところがあったようにおもう。というか、今までちゃんとそこまで考えたことがなかったのかもしれない。

ソラニンに出てくる人ももともとはみんなそういう感じで、だからこそ自分の幸せに納得するのがむずかしくて、それがまた自分をくるしくしている感じ。

 最後は、同じ価値観を共有できる人たちと場所があれば、結局それだけでしあわせだよね、っていう感じでおわるけど、それに気づくためには、自分がいろんなことを「あきらめた」っていうのを認めないといけなくなるから、簡単にはできないことだよなあっておもう。

 

きのうも一つ前の駅で降りて、そのまま家をとおりすぎてもう一つ先の駅まで歩いて、それから家に帰った。めちゃくちゃきれいにトケイソウが咲いている家があって、野良猫も見つけたし、上手な散歩ができてよかったなとおもって寝た。