眠りがしっくりこない夜

眠りがしっくりこない夜がある。

そこそこ身体はつかれていて、つぎの日も朝早く起きる予定があって、はやく寝たいのに、どうしてもうまく寝付けない。そのことに気がつかないようにしたいから、お風呂から上がってすぐ、ほかほかのままパジャマに着替えて、顔に化粧水をつけて乳液をつけて髪を乾かして体にクリームを塗って、デロンギをつけてあたためておいた部屋にはいって、ベッドにこしかけてケータイのアラームをセットして、電気を消して、そのまま横になって目を閉じる、という完璧な流れを用意しておいたのに、でも、布団に入ってしばらくすると、ああやっぱり今日もだめか……とおもう。

仰向けのまま、ひざをたてたり、抱き枕にからめたり、手をおしりの下においてみたり、右を向いて右手を枕の下にいれてみたり、左を向いて両手をあわせてほっぺの下に添えたりしても、どれもしっくりこない。

思いきって、うつぶせになって、手を枕の下に入れても、収まりが悪い感じがして、またどちらかに寝返って、まるくなる。そうした頃に大きなあくびが出て、その余韻にまかせて寝付こうとするけど、また、同じようにスモールサイズの狭いベッドのうえで、ばたばたと動く。

ケータイをいじってしまおうかとおもうけれど、あれは一瞬開いただけで目が覚めてしまって眠れなくなるような気がするから、ぜったいにだめだ、と言い聞かせる。頭のなかで、想像するようにしよう、何かを考えよう、と思う。たとえば、ひとり暮らしをしたときの部屋の間取りについて。玄関から入って部屋に行くまでにキッチンやトイレがあって、扉を開けて部屋にはいるタイプのやつとか、キッチンがカウンターみたいについているのとか、いろいろ。その間取りにあわせて家具の配置を考える。家具はぜんぶ、オーク材じゃなくてウォールナット材で揃えようとか、壁に飾る写真はどんなのにしようかとか、寝具は柄ものにするか無地にするかとか、カーテンはかわいい布を買って自分で縫いたいなとか。ほかには、ほしい洋服をかわいく着こなしている自分の姿を想像したり、いまは冬だから、夏のことを考えたりしてみる。でも、もう、そういう妄想すら長続きしなくなってしまっているから、途中ですぐに飽きてしまって、現実の、たとえば最近した自分の失態や恥ずかしかったことを思いだして、あーーと叫びたくなったりする。

そうすると、もう目を閉じるのもやめて、あしたの朝の自分に申し訳なさをかんじながら、結局、ベッドから起き上がってしまったり、それこそケータイやパソコンに手を出したりして、永い夜がはじまってしまう。

こういう、眠りがしっくりこない夜はだれにでもあって、言うなら、赤ちゃんとかにもあって、いろんな人に、順番に来ているような気がする。当番制というか、今日はあなたの番です、と言われてるようなかんじで、みんなが順番に引き受けている。

一晩何人ずつくらいなんだろう、とかを考えながら、今晩もしっくりこない当番。

新しい下着

バイトの前に、新しい下着を買いに行った。

いつも買うお店のファミリーセールみたいなハガキをもらったので、しばらく買い替えていなかったし、好みのデザインのものもあったから、いつものサイズを選んでお店の人に声をかけて試着室に入った。

しばらくすると、サイズいかがですか〜?と声をかけてもらったので見てもらうと、アンダーはひとつさげて、カップはひとつ上げたほうがいいと言われた。なんだか、ちょっと痩せたのに胸は大きくなった、と言ってもらえたように思えてうれしくなったので、担当してくれたお店の人に「あの、新しい下着を買うのはすごく久しぶりなんですけど、これは(胸が)大きくなったということなんでしょうか?」と尋ねた。そうしたら、その店員さんは「ん〜そうですね〜、わたしもこの赤を持っているんですけど、このブラジャーはワイヤーの部分がすごく伸びるので、わたしもいつもよりひとつアンダーを下げたんですよ。そうするとやっぱり、カップがきつくなったりしてくるので、う〜ん、ブラジャーの形や素材にもよるので……」と言った。それを聞いて、とくに胸が大きくなったというわけじゃないという事実よりも、そのお姉さんがこれの赤のブラジャーをつけるという事実のほうばかりが気になってしまい、返事があいまいになってしまった。すごくていねいで、見た目も派手な人ではなかったので、なんかいいなあとおもってしまった。それからわたしは「見た目地味〜下着派手〜」というフレーズがあったリップスライムの曲はなんだったっけ、と考えた。

着替えて試着室を出て、じゃあこのサイズにします、これのパンツも二つくださいと言うと、そのお姉さんは、でもサイズは変わるものなのでよかったら定期的に測りに来てくださいね、とちょっとわたしのことを気遣ったのか、そう言ってくれた。

下着屋さんのかわいい袋をかばんの中にしまって、バイトに行った。バイトの最中、売り場の鏡の前をとおるたびに、ポーチを斜めがけしている自分の胸元がすこし気になってしまった。家に帰ってからは、母親に買った下着を自慢した。下着をひろげながら、かわいいでしょ、と言うと、かわいいねと言ってくれた。サイズの話はしようとおもってやめた。

というか、わたしは中高生の頃からずっと、べつにそこまで大きいわけではないけれど胸が大きくなることがすごく嫌で、ブラジャーはパットを外したりして実際のサイズよりもわざと小さいのをつけたりしていたのに、そういう嫌な感じがなくなってきていることに気がついてしまった。

11月25日

きのう、足もとの、もう半分溶けて透明になったぐしょぐしょの雪を見て「大根おろしみたい」と言って、けっこうおもしろいことを言ったとおもったのに、友だちにスルーされてしまった。きのうは、ほんとうに寒かった。裏起毛のパーカーをかぶって、ウールのコートをおろして、マフラーをぐるぐる巻いて、デニールの厚いタイツを履いた。でも、それでも外はとても寒かった。登校するとき、雪がけっこうふっていたので、駅から学校までバスに乗ろうとおもったけれど並んでいる人の列を見てやめて、かわりにその分の浮いたお金で、購買でいちご大福を買って食べた。

 

今日は、学校がおわってから久しぶりに散歩ができた。まずブックオフによって、そのあと裏の本屋へ行き、それから商店街をぬけて駅の反対口へわたり、いつもの古着屋さんをのぞいて、公園へ行った。紅葉はとてもきれいだった。写真を撮りにきているひともたくさんいて、わたしもカメラを持ってくればよかったなとおもったけれど、コートのポケットから手を出すのがめんどうで、寒いし、まあいいか、とおもった。今日はリュックにパソコンが入っていたから、肩が重くてつかれてしまった。

電車に乗って、ブックオフで買った文庫本をちらちら読み、最寄駅のひとつ前でおりて、駅なかのドトールコーヒーでこれを書いている。ここのドトールは駅の二階にあって、大きな窓からたくさんのひとを見下ろすことができる。だれかを待っているひと、ベンチで本を読むひと、パン屋でパンを選ぶひと、急いでいるひと、高校生、だれかのお父さん、とか。

駅の天井に、きれいでもなんともない安っぽいイルミネーションが飾られていて、冬だなあと感じている。冬にしたいことは、夏にしたいことよりも日常的にかんたんにできるようなものが多くて、でも、ひとりじゃなくてだれかとしたいことが多い。

 

イヤイヤ期

ギターを弾きたいけどいまは鼻声だからいやだ。

外に出て散歩をしたいけど外は寒いからいやだ。

本を読みたいけどじっとしていたくない。

音楽は聴きたいけど前奏だけでいい。

こたつはずっといると暑くなる。

なにもしたくない。

寒いから暖かくしてね

さいきんは、すごくさびしかった。でもそうゆういろいろをぜんぶ季節のせいにして、気がつかないように過ごそうとおもって静かにじっとしていた。もういまは落ち着いて元気になったし、メンヘラツイートなどの変なことをせずにちゃんと我慢することができたのでよかったけれど、そのあいだはすこし日常がうわの空になっていたところがあったみたいで、じぶんの声の音量がわからなくなって駅や教室で想像以上の大きな声を出してしまったり、電車や図書館でイヤホンが繋がっていないのに音楽をかけてしまったり、ばかみたいに洋服を汚したり、ペットボトルの蓋をしめわすれてカバンの中が大洪水したり、きわめつけには、ブラウスのような服をうらおもて逆に着て、タグが丸見えで過ごしていた日もあった。

自分はおもっているよりも意外と強いなあとおもうときもあるけど、実際にはそうおもいたいだけで、弱さを誰かに見せられる人のほうが強くて、自分はすごくよわむしなのかもしれないとおもった。

人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うな、開きをした。毎年、夏がおわって、日が短くなったなあ寒くなってきたなあとおもいはじめたころから、春が来たことに嫌でも気がつくころまでの間に、この映画を見てしまう。多分もう15回くらいはレンタルしているんじゃないかとおもう。借りている一週間の間にも3回とか見てしまうから、あと去年はその時期にギャオで無料配信もしていたし、いままでに何回見たのかわからない。通してじっくり見ることもあれば、bgmのようにてきとうに流しておいたり、好きなシーンだけを見たりいろいろだけどよく見ている映画。でも、どうしてこんなに見たくなるのかがずっとよくわからなくて、考えていた。バイト先の人にも好きという人がいたけど、その人は、松ケンがたまらないとかいうので、そうじゃないとおもった。その人は30代くらいの女性だから、わたしもそのくらいの歳になって年下男子を欲するようになったら、そこが一番になるのかもしれないけど、今はそうはおもわない。

ユリちゃんになりたいし、えんちゃんになりたいとおもう。とにかく、二人がとても良い。永作博美蒼井優、もちろん二人ともの容姿もすごく好みだけど、それ以上にこの役の二人はかわいい。だからずっと、自分はどちらかというと男目線でこの映画を見ていて、その二人の魅力にやられて何度も見てしまうんだと思っていた。でも、ちょっと違うことに気がついた。私は、ゆりちゃんになって、みるめくんみたいな人に好きになってもらいたいし、えんちゃんになって堂本くんみたいな人に好きになってもらいたいとおもっていて、それを満たすために見ているんだとおもう。でもそれは、みるめくんや堂本くんが自分のタイプであってかっこいいからとかじゃなくて、また別の理由がある。私は恋愛のことほとんど座学でしか知らないようなものだからまちがっているかもしれないけど、恋愛において女の子は、その男の子を好きかどうかということより、その男の子と一緒にいる自分のことを好きかどうかということなんじゃないかと思う。それは別に素が出せるとか出せないとかそれだけじゃなくて、機嫌よくいられるとか、楽しいとか、かわいくいられるとか、そういうの全部ひっくるめてその自分のことを好きであるということ。自分が幸せになれるかどうかは、そういうところが大事なような気がする。例えば、わたしはもちろんかっこいい男の子やすごくおしゃれな男の子が自分のことを好きになってくれたら、それはとても嬉しいけど、結局それがその人の一番のいいところのような人とは、一緒にいる自分のことは、そんなに好きになれないとおもう。きっと、私はイケメンの前で取り繕わなくていいほどかわいくないから、見合うように外見も見栄を張っているとおもうし、中身だって、変なことして嫌われたくないとか、恥ずかしいとかそういうことばかり考えてしまうと思う。おしゃれなカフェに行ったり映画を見たりしてたとえそのときは楽しくても、多分その自分のことはそれほど好きになれないとおもう。

えんちゃんとユリちゃんは、それぞれ堂本くんとみるめくんと一緒にいるときの自分のことがきっと好きだとおもう。堂本くんやみるめくんのことももちろん好きだけど、彼らと一緒にいるじぶんのことも好き。同性でも異性でも、自分が好きな自分のことを好きになってくれる人のことは絶対に好きになれる。自分しか知らない、自分のかわいいところ、じぶんに監視カメラをつけて一日中監視しておかないとわからないようなところをかわいいと言ってもらえたら、とてもとても幸せなことだろう。この二人は、そういう男の子を見つけられているから、より一層かわいく見えるんじゃないかなとおもった。

あと、わたしはYUKIがすごく好きなんだけど、ユリちゃんの中にYUKIを見てしまう。まずYUKI永作博美は顔の系統は似ていると思うし、髪型もそんな感じだし、自由で天真爛漫で、ぴょんぴょんしていそうなところもなんとなく似ていて、見ていてワクワクする。

そういうわけで、この映画はわたしにとって大切な恋愛映画で、人肌が恋しくなる季節にはどうしても見たくなって、見て恋愛したくなるけど、現実は結構むずかしいということでおわってしまう。今年もあと何回見るかわからないけど、現実の恋愛につながるかはどうせまた別のはなし。

ドライなライフは意外とつめたい

家に帰ってきて、ただいま〜と言いながら勢いよく自分の部屋のドアを開けて、そのままぱたん、とベッドにうつ伏せに倒れこむと、いい匂いがする。鼻に気合いを入れてもう一度深く息を吸うと、やっぱり石けんのいい匂いがする。そのまま、ベッドに顔をくっつけたまま目を開けてみると、おもったよりすぐ鼻の先にまっ白いキャミソールがあった。そういえば、朝着替えたとき、この時期はまだ洋服の下にいつもキャミソールを着ているんだけど、今日はこの白いのを着ようとおもって、シャワーを浴びたあとすぐにこれを着たけど、洋服を選ぶときになって、白い薄手のブラウスを着ることにしたので、この白いキャミソールだとブラジャーが透けてしまうかもしれないとおもって、黒いキャミソールに着替え直したんだった。そのときにベッドに脱ぎ捨てたキャミソール。裏がえって、ぐしゃぐしゃになっていたのにまだ洗剤とボディソープのまざったいい匂いがのこっていた。

今日は「きのう8時半くらいに寝たのに、起きたの11時だった」という自慢をともだち3人くらいにした。きのう口の、べろの裏に大きな口内炎ができてしまって、とても痛くてごはんを食べるのもつらかったのだけど、朝起きて鏡で見たらすっかりなくなっていた。それでも、これだけ寝るとどうしても一日ずっと眠たくて、あくびばかりしていた。

学校がおわったあとはともだちとあそんだ。普段あまり行かない街をたくさん歩いた。今日のハイライトは、ドライフラワーの話だった。わたしが、好きな男の子の家に行って、ドライフラワーが飾ってあったら絶望しない?と聞いたことからはじまった。このあいだツイッターですごくおしゃれな男の子をみつけて、写真やらいろいろ見ていたら、部屋の写真が載せてあって、ドライフラワーが飾ってあった。花瓶に挿してあるのと、壁に貼り付けてあるのと両方あった。こんなわたしになにを言われる筋合いもないのはもちろんわかっているけれど、絶対やめたほうがいいとおもってしまった。おしゃれな女の子も、よく、ドライフラワーをすこしの束にして下向きにして、マスキングテープで壁に貼り付けたりしているけれど(インスタなどでよく見る、実際にともだちの家で見たりしたことはない)わたしはすきじゃない。そもそも、わたしはドライフラワーがきらい。小さいころ母親が、ドライフラワーは人間でいうとミイラなんだから飾ったりするのはよくない、と言っていたのを聞いていたから、なんだか見ていてこわくなる。でもなんとなく、ドライフラワーを部屋に飾ることがきらいなのは、ただ単にドライフラワーがきらいというだけではないとわかる。それはたぶん、ドライフラワーを部屋に飾るような人は、ベレー帽をかぶって外に出かけることができるし自分の服装を鏡の前で写真におさめて自分のSNSに投稿できる人だし本当は自分に必要ないものでも他人から見た自分には必要だとおもうものならわけがわからずも大事にする人だとおもうから。どうしてそういうのが嫌なのかというと自分のなかにもそういう人がいるから。で、こんなふうにわたしがドライフラワーについて熱弁していたら、ちょうど入った本屋さんに「ドライフラワー図鑑」というのが平置きしてあったので、ともだちと一緒に、あれこれ言いながらぺらぺらとページをめくった。それからまた、就活やら高校時代の話やらをして、洋服屋さんや雑貨屋さんを何軒か見てまわった。とちゅうで、たまに買い物をするかわいい洋服屋さんに入ったとき、ともだちが壁を指差しなざら笑いかけてくるので、なにかと思ってその先を見たら、ドライフラワーがすこしの束になって下向きになってマスキングテープで壁に貼り付けてあるのが6個くらいあった。そのときは、意外とかわいく見えた。でも、わたしはひとり暮らしをしたらちゃんと生きている植物をたくさん置いて、小さいのも大きいのもいくつも置いて自分のつかうコーヒーカップでお水をあげて植物園みたいにしたいとおもった。