西野カナ以上大森靖子以下

2016年6月の下書き



朝起きていちばんと、寝る前にギターを練習している。ギターを買ったのはたしか去年の2月くらいで、買ってすぐのころはうれしくてうれしくて、教本についているDVDを見ながら音を鳴らした。いちばん安い初心者セットみたいなのを買うつもりで楽器屋さんに行ったのに、店員さんの話に乗せられてヤマハのそこそこ良い、中古で2万円ちょっとのを買った。国産のは音がちがうとかなんとか言われたけど、わたしはなにより、そのギターの柴犬みたいな色合いがとても気に入ったんだった。グラデーションのようになっている濃いめの茶色のもかっこよかったけれど、自分が持つとすこし生意気なかんじがしそうな気がして、あまりしっくりこなかった。

何日か練習して、ドレミファソラシドが弾けるようになって満足して、ドレミファソラシドドシラソファミレドをはやく弾いたり、ユーチューブですこし滑舌のわるいおじさんの初心者でも弾けるカントリーロードみたいなのを見たりしていた。でもあるとき、楽器屋さんに「毎回弾きおわったあとは弦をゆるめないと、ギターが傷む」と言われたのをおもいだして、いままでゆるめていなかったから、こんなかわいい子を痛めつけたとおもって、そのぶんの意味も込めていっぱいゆるめたら、次のときからチューニングが合わなくなってしまった。

チューナーをギターの先につけて、ゆらゆらゆれる電子印字の棒を真ん中に合わせても毎回毎回音がちがう気がするし、でもどうちがうのかもよくわからないし、せっかく覚えたドレミファソラシドもぜんぜんちがう音に鳴った。だからいちいちドレミファソラシドを弾いて弦を合わせていたのだけれど、そうやって毎回チューニングがおかしいうちに「ギターってよくわからない、意味わからない」という思いが自分の中でどんどん大きくなっていって、しかもそのあたりで二週間ちょっと海外旅行に行ったもんだから、帰ってきたころにはもうギターなんてどうでもよくなってしまった。

それでもギターは毎日わたしの部屋にあって、毎日見て見ぬふりをして、どんどんインテリアと化していった。コートハンガーの横に置き場所があるので、冬場はとくに、学校やバイトからつかれて帰ってきてコートをかけるときに、「ジャーン」という、うるさいためいきのような、ギターの嘆きのような音が鳴った。でも、それでもわたしはその音を無視して、しばらくはどうでもよかった。

でもいつからか、そのギターに対する罪悪感と、わたしがギターを買ったということを知っているともだちたちの「そういえばギターは?」という言葉から、「ギターれんしゅうする」とよく言うようになった。家の近くと学校の近くと、ギター教室を探したし(結局月謝が高かったので見学にも行かなかったけど)何人とも、上手になったらバンドを組もうとかスタジオ入ろうとかの約束もした。でも、それでもなかなかチューニングのトラウマは大きくて、だれに聞いても「チューニングなんて簡単だ」「針を真ん中にあわせるだけじゃん」としか言われないので、口で言うばかりでぜんぜん練習しようとしなかった。

あるとき、というかはっきり覚えている、6月19日の日曜日。23時くらいにバイトから帰ってきて、その日はほんとうにつかれて眠くて、お風呂に入ってすぐ寝たかったのだけど、どうしても今日さわらないといけない気がして、ギターに手をのばした。ベッドに腰掛けてギターをかかえ、チューナーの電源を入れて、ひらめいた。チューナーに表示されるこの英語がなんかあれなんだ、と思って、教本をみたりグーグルしたりしたら、簡単に解決した。そろえるべき音がそもそもずれたままだったようだ。

そうして、その日以来、毎日朝と夜にギターの練習をするようになった。